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東三河エネルギー研鑽会の探求

穂の国東三河を中心に、三遠南信の歴史と謎、エネルギーを探求しています。またブログタイトル変えちゃいました。

  1. 民俗学
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片目の随神の謎

柳田國男の「一目小僧その他」の中に、故郷の神社にあるスガ目の矢大臣の話がある。神社の随神門の左右にある木像のどちらか一方が片目を閉じているという・・・。

といきなり言われても、何のことやらってな感じかと思いますので、まず、随神門にいる随神とは何ぞやということで調べてみると・・・、

【随神とは】
随身 随神 ずいしん

貴族の外出時に警護のため随従した近衛府の宮人。
また神道において神を守る者として安置される像のこと。
門主神(かどもりのかみ)、矢大臣、左大神とも。
門の左右に随身を安置した門を随神門と呼ぶ。


と説明されております。

そして、柳田國男の「一目小僧その他」から抜粋してみると・・・、

一目小僧 その他  昭和9年5月
 材料は今でもまだ集まって来る。たとえば目一つ五郎考の中に、郷里のうぶすなの社殿の矢大臣が、片目は糸みたように細かったということを書いてしまうと、それからはどの御宮に参拝しても、きまって門客人(かどまろうど)の木像に注意をせずにはいられなくなる。その木像には年を取った赭(あか)ら顔の方の眼が潰(つぶ)れているのが多く、またそうでないのもある。これを見ると私は非常に考え込むのである。

神片目
 目の左右に大小ある人はもとより多いが、それの時に顕著でありまた一般的である場合には、いわゆるアヤカリをもって説明せられる。たとえば福島県石城(いわき)群大森の庭渡(にわたり)神社などは、以前の本地仏庭渡地蔵尊の像、美容にして片目を小さく造ってあった。それゆえに大森の人はみな片目が小さいと言い、しかも美人の生まれぬのも鎮守様が器量よしだからといっていた。

 自分の生まれた在所では村の氏神と隣村の氏神と谷川を隔てて石合戦をなされ、あちらは眼に当たって傷つかれたゆえに、今でも隣村の人は片目が小さいといったが、しかもこちらの社の門客人(かどまろうどがみ)いわゆる矢大臣がまた片目を閉じた木像である。

 幼少の頃からこれを不思議に思って、今も引き続いて理由を知りたいと願っている。片方の目は一文字に塞いで他の一方は尋常に見開いているのが、二体ある像の向かって右手の年取った方だけであったように記憶する。今でもまだあろうから確かめることはできる。*参考までに柳田國男のうぶすな神社は、兵庫県神崎郡田原村大字西田原字辻川にある鈴の森神社です。

 もちろんこの彫刻は定まった様式に従ったまでで、特にこの社のみにかぎられたことではなかろうが、他の実例はあの地方ではまだ心づかぬ。


このように書かれていて、柳田國男はうぶすな神社でみた片目の像について、幼い頃から不思議に思っていたようですが、その後もこの片目の像について結論めいたことは述べてはいないようです。

さて、そんなこんなで、静岡県浜松市神ヶ谷にある賀久留神社へと行ってみました。ここには随神門があります。果たして柳田國男の言うように、片目の矢大臣がいるのかどうか、確かめてみました。

kakuru_zuisin_mon01.jpg
<賀久留神社 随神門>

門の両サイドに矢大臣がいらっしゃいます。門の中はとても薄暗く、かなり分かりにくいですが、じっと覗き込んでみると、うん、確かに目の大きさが微妙に違う。

柳田の説にあるように、片方の年寄りの随神の目が少し小さいようです。

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<賀久留神社 随神 左大臣(年よりなので髭が白い)>

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<左大臣をよく見てみると、片目が小さいです>

zuisin_ryoume02.jpg
<もう一方の随神 右大臣(若いので髭が黒い)>
  
zuisin_ryoume01.jpg
<目の大きさは同じようです>

パッと見ただけでは気づきにくいですが、右大臣(年若い方)と比べてみると、たしかに左大臣(年寄りの方)は顔の表情がなにやら険しく感じます。それはおそらく左右の目の大きさが違うからじゃないかと思います。

だけど、この賀久留神社を見ただけで、柳田國男のいう通りだというのも早計なので、他に随神門はないのかな?と調べてみると、岡崎市の伊賀八幡宮にあることが分かりました。ただ、自分たちの住んでいる愛知県には伊賀八幡が唯一だということです。

これまた何でだろう?と新たな疑問が浮かびます。ひょっとして、東三河にはアラハバキ神が多く残っていて、これも門番の神として祀られているので、随神ではなくアラハバキとして残ったからかな?なんて思ったりしますが、それは今後のテーマということで・・・。

お隣の静岡県側にはいくつかの随神門がありますが、そのうちの一つが最初に紹介した賀久留神社で、他には浜松市の津守利神社、磐田市の府八幡宮にあるようです。

iga_zuisin_mon.jpg
<伊賀八幡宮 随神門>

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<伊賀八幡宮 随神 右大臣>

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<伊賀八幡宮 随神 左大臣>

岡崎の伊賀八幡宮の随神像は比較的新しく、最近の造りのようです。妙なリアル感がある像ですね。両サイドの像を見ても、片目を閉じているとか、目の大きさが違うなどはありませんでした。もしかしたら、昔にあったんだろう像には、柳田説のように片目の左大臣だったのかもしれないなと想像しますが・・・。

次に向かったのが、浜松市の津守利神社。

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<津守利神社 随神門>
  
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<津守利神社 随神 右大臣 髭が黒いので若い>
  
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<津守利神社 随神 左大臣 髭が白いので年寄り>

こちらは、先ほどの伊賀八幡宮に比べると少々年季の入った古さがあります。しかし、随神の目は片目にはなってないです。ちょっとデッサン狂った凄いお顔の、まあ、ユニークな随神ですね(^_^;)

結局、片目の随神はすべての随神門に共通するものではなく、また時代の推移によっても違うのかなと思う。

で、最後に、静岡県磐田市の府八幡宮を訪れてみました。

fu_hatiman_zuisin_mon.jpg
<府八幡宮の随神門。 凄く立派な門です。かつてこの地には国府がおかれていました>

  
fu_hatiman_zuisin02.jpg

fu_hatiman_zuisin02up.jpg
<府八幡宮 随神 左大臣 あきらかに片目が小さくなってます>

  
fu_hatiman_zuisin01.jpg

fu_hatiman_zuisin01up.jpg
<府八幡宮 随神 右大臣>

仁王像を思わせるような立派な像です。格子があって中を伺うことができにくいのですが、どうでしょう、こちらの左大臣は見事に片目が小さく、柳田國男の説その通りであります。

一目小僧について柳田國男は、多くのオバケと同じく、本拠を離れ、系統を失った昔の小さな神であると言っています。そして、一方の目をつぶされた神であるとも言っています。大昔のいつの代にか神様の弮族にするつもりで、神様の祭りの日に人を殺す風習があった=いけにえ。逃げてもすぐに捕まえられるように、片目を潰し、足を一本折っておいた、と記しています。一目小僧伝説とは、いけにえの習慣であったと柳田國男は説いているのです。

以前、柳田のこの話を参考に書いた記事がありますので、よかったらどうぞお読みくださいな。「一年神主」

その後、谷川健一氏が、一目小僧伝説について、たたら製鉄に関わる山の民、いわゆる産鉄系の人々が、製鉄のため、高温高熱で目がやられる、火を起こすためのふいごを踏み続けることで足がやられる、そんな姿を里の人が見て、それを妖怪=一目小僧だといったことではないかと説いています。

ということで、訪れた所を見ると、いけにえ的な話はちょっと分からず、どちらかというと、産鉄に関係していそうな気がします。産鉄と一目の随神(矢大臣)との関わり合いは、次のテーマとして今日はここまでとします


オースチンmurasakiあいさつ

今年はブログ休止期間がありました。色々と思う所があって、記事もだいぶ整理してしまったので、以前と比べスピリチュアル色が無くなってしまい、そちらのファンの方には申し訳ありませんです

まあ、こんなエネ研ですが、懲りずにまた来年もよろしくお願いします

では、よいお年を・・・



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2018.1.6ブログタイトルをまた改めました(^^ゞ

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