平八じいさんと稲荷の話

category: 隠れ南朝伝説   Tags: 南朝  豊川稲荷  

南朝リレーその1で、豊川稲荷の狐塚のことに触れましたが、ここも南朝と何か関わりがありそうな感じなんですね。それで、南朝豊川稲荷の関係についてなどをアレコレ調べていたら、お稲荷さんのことでおもしろい話が出てきました(^^)

豊川閣妙厳寺。通称豊川稲荷。霊験あらたかな稲荷として、今川義元、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの著名人から一般の人まで、広く多くの人々からの帰依信仰を集め、日本三大稲荷の一つに数えられているというのは皆さんご存知の通りです。

そんな豊川稲荷の元は西島稲荷だった・・・という話を以前「穂の国稲荷巡り」でもチラッと触れましたが、かつては、西島稲荷が多くの人々から篤く信仰され、とても賑わっていたのです。その西島稲荷には、社守(雑事を行う人)の平八というおじいさんいたのですが、このおじいさんが妙厳寺の社守になると、妙厳寺の稲荷、すなわち豊川稲荷が隆盛を極めるようになり、だんだんと西島稲荷はさびしくなってしまったと。豊川稲荷は別名「平八稲荷」とも言われています。

ちょっと何だか謎っぽい平八じいさんですが、このおじいさんは、遠州の都田から西島稲荷に来たという話で、調べてみると、浜松市北区都田町に平八稲荷という稲荷神社があり、そこにはこんな伝説がありました。

今は昔、都田村新木に平八という親切なおじいさんが住んでいた。平八爺さんはもとは、白狐だったが、皆のことをよく気にかけて優しかったため、村人たちに慕われていた。

ある年、長雨が続いたことがあった。その時、近くを流れる都田川を平八爺さんはじっと見ていた。しばらく川を眺めた後、突然、平八爺さんは村人たちに山の方へ逃げろと大声で言った。なにか起きたのかと村人が尋ねても、ただただ急いで逃げるよう叫び続けた。平八爺さんの真剣な声に村人たちは従い、山の上に登った。その時、川の水が氾濫して村全体を飲み込んでしまった。

こうして、村人たちは助かったのだが、平八爺さんの姿が見えない。かわりに、都田川の荒い流れの上をぴょんぴょんと跳んでいく、一匹の白狐の姿があった。

その後、平八爺さんを都田で見ることはなかった。「平八さんは白狐だったが、良い人だった」と村の人たちはお宮を作って稲荷神社としてまつった。それが現在新木にある「平八稲荷神社」である。
(浜松情報BOOKより)

この伝説のおじいさんをお祀りしたのが、平八稲荷ということで、地図で場所を確認してみると、「あれ、ここって秋葉神社に行く途中で、道路際の空き地に唐突に鳥居が立っていたのを見かけたけど、ひょっとしてあの場所のこと?」と思って行ってみると、やっぱりそうでした

かつては都田川の川べりの竹林に囲まれた中にあったらしいのですが、都田川の河川工事のために、現在の場所に移転されたそうです。

heihati001.jpg

heihati006.jpg

heihati008.jpg

heihati007.jpg

heihati002.jpg

heihati009.jpg
<平八稲荷>
信号交差点の空き地のような場所に唐突にあるような感じになっていますが、かつては都田川の川べりの竹林に囲まれた中にあったとのことです。都田川の河川工事のために、現在の場所に移転されたそうですが、これから樹木が育ち、気のよい場所になっていくといいなと思います。

heihati003.jpg
<あれ?お社の前に石のようなものがくっついています>

heihati004.jpg
<近づいてみると・・・>

heihati005.jpg
<人面石でした>
おじいさんの顔に見えるところから、これが平八じいさんのお顔でしょうか?以前の場所にあった時に撮影された古い写真にも、祠の前に同じ人面石がありましたので、同じように移転されたようです。

heihatitizu001.png
印 平八稲荷>

伝説によると、平八じいさんは狐で、川の氾濫の後、都田から姿を消したという話ですが、都田の鈴木家に平八じいさんが使用したといわれる茶碗や水がめが残されているようなので、それらしき人物がいたのでしょうか?

都田から姿を消した後、豊川市の西島稲荷へ来たということなのかな?ということで、西島稲荷の伝承を調べてみると・・・、

●この地方で最も古いといわれる西島稲荷(豊川市西島町)は、熱田大宮司家の一族である星野氏が、大和から西島に、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を田の神として勧請。

●慶長元年(1596年)には神宮寺も創建され、吉田城主の牧野成央が崇敬して社殿を造営し、熱田神宮から神官を迎え祭典が行われた。

●宝暦13年(1764年)に、賀茂神社の神官の竹尾茂朝が、西島稲荷の境内に水神を祀り、西川明神の神号を奉って安産の神とした。この神とは、豊橋市の賀茂神社境内にある貴船神社の高龗神(たかおかみ)のことである。

●西島稲荷には、「大和、豊島、平八」という三人の社守がいて、毎日太鼓をたたいて祈祷が行われ、毎日参拝者で賑わっていた。

●とても繁昌していた稲荷だったが、西島稲荷の社守をしていた鈴木平八郎が、妙厳寺境内にある稲荷社の社守として妙厳寺に迎えられてからは、いつとはなく寂れてしまった。

●この鈴木平八郎という人は、遠州引佐郡都田村(浜松市)の人で、信仰心に篤く、社交にもたけ、すぐれた才知のある傑物だった。浜松の都田の平八稲荷では、豊川妙厳寺の社守として働き、寺の繁栄に功労のあった人、神通力があった人などの伝説を伝えている。


・・・というような伝承が出てきました。

nisijimainari001_20120415102143.jpg
<かつて最も繁昌していた西島稲荷>

創建についての詳細はよく分からないようですが、南北朝の頃(1336年頃からの約60年間くらい)ではないかという話です。平八じいさんが、妙厳寺へと移っていった様子を、「西島の平八稲荷が妙厳寺へ婿入りした」というそうで、安永四年刊の「三河刪補松(みかわさんぽのまつ)」という書物には、妙厳寺には平八という狐がいて、稲荷明神と崇めている。宝暦の頃(1751~1763年)、西島村の野狐が、豊川村の妙厳寺へ入婿になった夜は、西島より豊川村までの野道に、たいまつを数百灯したようになったと謳われた。それより妙厳寺の稲荷には参詣が途絶えず、賑々しく霊験あらたかなり・・・、と記されているようです。

余談になりますが、西島稲荷のすぐ近くに香月堂という焼き菓子製造工場があります。コンビニやスーパーで売られているバームクーヘンやマドレーヌで、ここの名前をみかけたことがある人もいるかと思います。

この工場は、数年前から、B級品のバームクーヘンやマドレーヌなどの焼き菓子を販売する「香月堂アウトレット」という店舗を始めたのですが、これが、まあ、大盛況で、開店前から長蛇の列ができるほど大賑わいしています さらに、駐車場が拡張されたり、待合用の小屋ができたりと、規模も拡大していて、なんと、観光バスやマイクロバスが立ち寄っている時もあるほどなんですね。通りがかるたびに「今日もすごい列ができてるわ~」と思うのですが、何だか、平八じいさんの神通力を彷彿とさせるような感じですよね 

日によって出てくるお菓子の種類はまちまちですが、レジ袋にいっぱいになるほど買っても1000円そこそこなので、「ここでバームクーヘン買っちゃうと、コンビニで買う気がなくなっちゃうよね」なんて話が出るほどかなりお値打ちです。ちなみにコブメロはスイートポテト味とバナナ味のバームクーヘンがお気に入りです

さて、平八じいさんが移っていったという豊川稲荷とは、円福山妙厳寺の境内に祀られた稲荷社のことです。妙厳寺は、曹洞宗に属する禅宗の寺院で、嘉吉元年(1441年)、今川氏の縁戚関係にある東海義易(とうかいぎえき)禅師の協力で、円福原(えんぷくがはら)と呼ばれたこの地域に、今川氏によって創建されました。

南北朝の動乱の後、遠江の今川氏が東三河一円を支配することになるという社会情勢からみると、妙厳寺の創建は、時の権力者である今川氏の南北対立の感情を緩和するための宗教的な政策であり、また、今川家が代々南朝に敵対して、南朝方を熾烈なまでに敗亡へ追い込んだつぐないとしての意味もあるらしいです。

北朝方の足利尊氏も、後醍醐天皇の怨霊供養のために、京都の嵯峨嵐山に天龍寺を創建し、足利義満は、南朝の残党が多く潜伏していた岡崎市額田町に天恩寺を創建しているように、各地で南朝を供養するため(残党の台頭を抑制する意味も含んでいる)の寺院が創建されたので、足利氏の家来筋であった今川氏もこれにならったものだと思います。

後醍醐天皇といえば、お稲荷さんとのこんな伝説をみつけました。

足利尊氏の誘いで京都に閉じ込められてしまった後醍醐天皇は、吉野に逃げるために密かに脱出した折に、伏見稲荷にお祈りをすると、暗闇の中に道筋を照らすあかい雲が現れ、天皇が河内の大内山に入ると、その雲は吉野山の上に消えてなくなった。これをいなり神の道開きという・・・。

いにしえより、神の御使いのことを「ミサキ(御先)」といい、これは先鋒とか、先導という意味になるそうです。田の神のミサキは狐、神武天皇を案内したヤタカラスはミサキ鳥で、猿も神の使いのミサキとして大切にしている神社がいくつかあります。

神の使いをミサキという・・・。狐塚から遥拝しているとされる場所は美佐々木(ミササギ)。ミサキと美佐々木って、似ているような気がするけど、何か意味があるのかな~?

toyokawainari001_20120415102228.jpg
<豊川稲荷狐塚>
何百人という大人数の食事を、お釜一つでパッパッパッと作ってしまうという不思議な力の持ち主の平八じいさん。このお釜が妙厳寺に残っているそうです。ひょっとしたらと思って、先日行った時に拝殿の奥を覗き込んでみましたが、残念ながら釜っぽいものは見えなかったです。大切に保存されているのでしょう。

inaritizu001.png
印 西島稲荷と豊川稲荷>

さてさて、これらの三か所の稲荷を、平八じいさんの足跡をたどるかのように巡ってみるのも面白いかと思います。ちなみに、三か所巡った次の日、私は100円拾いました  おや?背後よりみみっちいというモ吉の声がするが、サプライズな体験には変わりはないのざぞ (なんか出口ワニさんみたいな神様言葉になっちゃった )

そんなこんなで、我が東三河エネ研では、これらの稲荷を「新三大稲荷」と勝手に認定させていただくのであります

ご清聴、誠にありがとうございました~


スポンサーサイト

テーマ : スピリチュアル    ジャンル : 心と身体
2012_04_15

Comments

はじめまして 

はじめまして、今は違うブログ書いていますが、昔は民俗学ブログを書いていました。菟足神社についても書きました。
http://blog.goo.ne.jp/aetetennkanosakitarazu/e/76a4d4ea84502116e62fb96889c378e5

豊川稲荷はよく行くし、西島稲荷も平八稲荷も行きました。
「平八稲荷」でグーグルで探してこのブログに着ました。

ここまで調べて頂くと助かります。おそらく、豊川稲荷ボランテアガイドでも知らないかも?
一般的には、平八狐は「豊川稲荷物語」にある、東海義易禅師の元にいた寺男が平八と言われています。西島稲荷の平八稲荷伝説はあまり有名ではないかもしれません。
遠州都田の平八稲荷には10年以上前に行きました。まだ、川の近くの竹やぶにあった頃です。

平八釜は、ダキニ真天、本殿内の厨子の裏に、箱の中に入っております。普段は箱の中でわからないですが、彼岸などの時に開いていて、平八釜を見ました。
内陣拝殿参拝で運が良いと見ることができます。

三明寺の三徳稲荷も西島稲荷から来たようですが、この狐は黒。商売人の中には黒い方が黒字になるとして、尊ぶ人もいます。
白い狐と黒い狐は私は五行説から来ていると考えています。黒い狐は水を治める意味合いがあり、五行の黒、土から金を生むのは、金の白。
水を治めるために勧誘されたとされる、西島稲荷も、三徳稲荷と同じく黒だったのでしょうか?

これからも、郷土史など書いてください。
やいと屋 知足斎  URL   2012-10-10 22:50  

やいと屋 知足斎さんコメントありがとうございます。 

はじめまして。ご訪問ありがとうございました。

お返事が大変遅くなって申し訳ありませんでした。

さて、移転前の平八稲荷に行ったことがあるのと、豊川稲荷の平八釜を見たことがあるというのは大変羨ましく思います。

平八稲荷については、詳しく調べた方が過去にいて、その方の資料をもとにブログで御紹介しただけなので、自分たちが稲荷に精通しているわけではないです(^_^;)

やいと屋さんのブログを拝見させていただきましたが、ずいぶん以前から地元の民俗学的なことを調べたり訪ねたりされているようでお詳しいようですね。また色々ご教授ください(^^)

ところで、鍼灸院を開業されているようですね。鍼灸はなかなかいい療法だと思いますが、これ一本でやっていくのは難しいとも耳にしますが、名人クラスは本当に素晴らしい治療効果を上げているとも聞き及びますので、古い資料なども取り入れながら、研究を深めていくと可能性が大きな療術であると思います。

最近は、古武術とか古武道などに伝わる療術をとりいれて教えている所も多くなりました。整体の世界でも、野口整体以前の整体の元となった古い療法を現代によみがえらせようとしている方々もいらっしゃいます。

みなさん古文書などを参考にされているようで、やいと屋さんのように古い歴史を紐解くことの得意な方には、鍼灸の世界も面白い展開を見せるのではないでしょうか。

西島稲荷は、ブログでも書いたように、賀茂神社の貴船神社を勧請したものであるようで、水に関係が深いようですね。五行説でいわれる黒狐なのかもしれませんね。また、都田の平八狐の伝説も、洪水から村を守ったという逸話から、水を治めることに繋がっていくと思います。五行説でいわれる黒狐なのかもしれませんね・・・。

また今後もよろしくお願いいたします。
東三エネ研  URL   2012-10-12 11:45  

参州足助 お釜稲荷 

初めてお邪魔します。
私は愛知県豊田市足助町の住人で、自宅の近くに「お釜稲荷」というお稲荷さんがあります。
私たちが子どもの頃は、遊び場でもありました。
その起源を辿るうち、このブログに行きあたりました。

平八じいさんは足助にも現れ、不思議な力を見せていたようです。
以下の足助観光協会ホームページにある伝承が、お釜稲荷の起源となっています。

http://asuke.info/view/rekishi/entry-1593.html
(足助観光協会 H.P.)
CHAMP  URL   2017-02-28 11:25  

Re: 参州足助 お釜稲荷 

CHAMPさん、コメントありがとうございました。

返信が遅くなって申し訳ありませんでした。

私たちも去年、足助を散策した際にこの「お釜稲荷」に出会い、
平八爺さんの伝説がここにもあるんだ~!とびっくりしました。

新城市の本宮山から、足助にも何かが飛んで行ったという伝説もあって、
つながりを感じますね。

地元の方からのコメントはとっても嬉しいです。

地元ならではの何か面白い伝承などありましたら
またよろしくお願いします(^-^)
ドグオ&こぶめろ  URL   2017-03-26 21:31  

 管理者にだけ表示を許可する

07  « 2017_08 »  09

SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

about us

ドグオ&こぶめろ

ドグオ&こぶめろ
本日は「東三河エネルギー研鑽会」ブログに、ようこそいらっしゃいました(^^)

穂の国東三河~三遠南信地域を中心に、歴史や信仰、伝説の謎などの探求しています。そして時々エネルギー研鑽も♪

タグリスト

最近のトラックバック

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

Powered By FC2ブログ




page
top