2012年も押し迫ってまいりました。

アセンションと言われた21日~22日ですが、表面的には穏やかに過ぎていきましたね.。見えないところではどうなってるのは知りませんが、まあ、そんなものでしょう ニュースによると押しかけた観光客によって、マヤの神殿が修復不能なくらいに壊れてしまったとか・・・。なんだかなぁ

さて、年末に選挙も行われ、いよいよ自民党の安倍政権が始まります。そんな中、安倍総理は、母方の祖父である岸信介元首相のお墓参りに、山口県田布施町を訪れたというニュースを目にしました。

「ん?岸首相のお墓が田布施にあるって?」

と田布施に引っかかりを感じ、安倍総理の家系なる物を少し調べてみました。

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ちょうどいい具合に、「フラッシュ 新年合併号」に安倍一族の記事が載っているということで、購入して読んでみました。ちなみに付録はなんと話題の「壇蜜」のDVDで、コンビニへ買いに行ったドグオ氏は、レジのオネエチャンの前で「壇蜜のDVDが欲しくてフラッシュを買うわけじゃないですから~」と心の中で必死に言い訳したらしいです・・・

ま、壇蜜はさておき、安倍家の系図を見てみると、

●安倍晋三の母方の祖父は、岸信介元首相。
●岸信介元首相は、佐藤家から岸家へ養子に入った。佐藤家の佐藤栄作元首相とは兄弟。
●佐藤栄作元首相の奥さんは、松岡洋右元外務大臣の姪で、佐藤栄作とはいとこ同士。
●松岡家は吉田茂元首相の娘と婚姻関係にある。
●吉田茂元首相の孫は麻生太郎で、安倍晋三とは縁戚関係にある。
●吉田茂元首相の奥さんは、大久保利通(薩摩)の孫。
●安倍晋三の母方の叔父の奥さんは、井上馨元外務大臣の血統。
●井上馨元外務大臣の血統には、日産の創始者、鮎川氏がいる。
●安倍晋三の奥さんの実家は森永製菓。

などなど、まあ、素晴らしい系譜が出てきます。「まるで戦国時代の政略結婚のように養子縁組をしている」と記事にも書かれているように、あっちこっちで政界財界との繋がりを作り上げておるようです。

そして、田布施と言えば、南朝の末裔だといわれる大室寅之助の出身地ですが、山口県熊毛郡出身および関連する政治家(田布施一味とかいうらしい)など、いわゆる長州出身者には、

伊藤博文、山縣有朋、戦前の外務大臣の松岡洋右、終戦時の内務大臣の安倍源基、日産創始者の鮎川義介、日立創始者の久原房之介、共産党No.1の宮本顕治、マルクス主義を広めた河上肇、岸信介元首相、佐藤栄作元首相、安倍晋太郎元外務大臣etc・・・

といった名前が見られます。

で、不思議なことに鹿児島県にも熊毛郡という地名と、田布施(南さつま市金峰町)という地名があって、小泉純一郎元首相の父・純也氏が田布施の出身だという話で、ついでに、民主党の代表になった海江田万里氏の本籍も金峰町だそうです。

こちらは薩摩出身ってことですね。

なぜに田布施という地名がこんなに絡んでくるのでしょうか。おまけに山口県の田布施町は16000人ほどの小さな町なんですが、ここから総理大臣が2名も出ているなんてあまりにも凄すぎると思いませんか。なんでかな?

そして、田布施と言えば大室寅之助ですが、南朝の末裔であり、明治天皇との入れ替わり説がささやかれる人物であります。

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田布施と南朝の関わりあいをアレコレ考えてみるのですが、全くもってよくわかりまへん ただ、何となく気になったのが、以前、南朝の富士の隠れ大本営といわれる場所を探っていた時に見つけた、静岡県富士宮市の田貫湖周辺に後醍醐天皇の御所があったという伝承で、その田貫湖畔には、田貫神社があり、田貫次郎、尹良親王(ゆきよししんのう)がお祀りされているということでした。

「タヌキ?何?ちょっと間抜けな名前だな」なんて思っていたのですが、尹良親王の伝承の中に、上野国新田荘の寺尾城主・世良田正義の娘を妃にしたという記述や、新田・小田・世良田・桃井氏が尹良親王を奉じたという話が残されていて、「世良田と田貫かぁ・・・」とぼんやり考えていたのです。

「田貫って、タを抜くんだよね。ってことは、世良田からタを抜くと、世良になるから、世良と言えば世良親王(よよししんのう)っていう後醍醐天皇の皇子がいたよね。早くに亡くなった親王だけど、乳父は北畠親房で、親房は世良親王が亡くなったことで、出家したんだよね。世良親王は聡明で後醍醐天皇から大きな期待をかけられていた皇子だったから、親房はその責任を感じたということらしい・・・」

世良親王という方は、建武の新政の前に亡くなっているので、南北朝の物語の中には登場してこない人物ですが、以前から「世良親王の世良と世良田って、田があるかないかだけで同じような名前だから何か関係あるのかな?」とうっすら疑問に感じていたのです。

そして、もうひとつ、タヌキを隠語として考えてみると、「タを抜いたり、消したり、隠したり、伏せたりしてごらんなさい」というメッセージかとも思えてきて、そうして考えてみたら、ひょっとして「田布施」も隠語で、これは「タを伏せてみろ」と取れるかもしれないと思ったのです。「田無」もあるけど、これはまだ未調査ってことで

そうして田布施を見てみると、ここは「世良田」か「世良親王」に関わりのある場所なのかもしれないと思えてくるのです。

じゃあ、世良田を見てみると、世良田の地名は群馬県太田市にあります。世良田東照宮があり、徳川家の祖先の地ともいわれています。徳川家は、元々は南朝の忠臣である新田氏が先祖といわれ、徳川の家臣団には、南朝の忠臣たちが名を連ねています。世良田と南朝の関係は何やら深いことがうかがわれますね。

戦後では、世良田を中心にした半径約50キロ圏内から三人の総理大臣が出ておるのです。中曽根康弘氏、福田赳夫氏、小渕恵三氏のお三方ですが、同じ地域にかたまるなんて密度濃いよね~
 
もうひとつ世良田というのは、いわゆる被差別部落といわれる地で、先ほどから出ている山口県田布施や鹿児島県の田布施も同じようにいわれる地だそうです。

こういった地域についてはネット上では半島系とかよく言われていますが、南朝関係者が各地で潜伏したという伝承を追っていると、被差別部落といわれる場所は南朝と関係する場所なんじゃないの?という感じもしてきます。うわ、こんなことを書いてていいのでしょうか(滝汗

そして、フラッシュの記事には、安倍晋三総理の父・安倍晋太郎氏が「我が祖先は奥州の安倍宗任(あべのむねとう)である」と語っていたとあり、「安倍宗任は、平安時代の武将で、源頼朝に負けたため、四国の伊予国や九州の筑前国に配流されたのち、松浦水軍となった子孫が現在の山口県大津郡に移り住んだ・・・」と書かれています。

「安倍家のルーツは奥州で、東北蝦夷の首長である安倍一族の末裔」ということから、かつて石塔山荒覇吐神社(アラハバキジンジャ)の建立にあたって、安倍晋太郎氏は多額の寄付をしたということでした。安倍家のルーツが東北というのは間違いではないと思いますが、神社建立のきっかけとなった「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」という古文書は、後に作者の創作物だったといわれています。

蝦夷、アラハバキで思いだされるのが封印されてしまった神様です。そして、封印された神様、女神様というと瀬織津姫が出てきますが、なんと安倍晋三総理の奥さまの昭恵夫人は、瀬織津姫にハマっておったようで、ヤンズ氏の瀬織津姫関係のイベントなどに顔を出していたこともあったようですよ。昭恵夫人が瀬織津姫に心惹かれたのも安倍家のルーツに由縁するものだったのかなぁ?なんて思ってしまうところですね

こうやって眺めてみると、山口、鹿児島、群馬という離れた土地で、なぜかよく似たような事が起きているように見えてきます。偶然で片付けるには無理があるようにも思うし、やはり、背後に結びつける何かがあるのでしょうか

ひょっとして、それは、南朝に関係する血脈なのかもしれませんね・・・


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今年も訳の分らん話にお付き合いいただきありがとうございました。
それでは、皆様、来年もよろしくお願いいたします


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テーマ : 歴史    ジャンル : 学問・文化・芸術
2012_12_28


レイラインblue小俣京丸002

再び登場の南朝リレーその7でご紹介した図ですが、この図の中心に位置しているのが静岡県浜松市春野町にある小俣京丸という場所です。

南朝の隠れ里といわれる小俣の里と京丸の里。南朝の隠れ御所があったのではないかというのが小俣の里で、高塚山に葬られた尹良親王(宗良親王の皇子・長野県浪合村で自刃)をずっとお守りしてきたのが京丸の里といわれ、ここは60年に一度、たらいのようなデカイ花を咲かせるという京丸ボタン伝説でも知られています。

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<小俣の里と京丸の里の位置関係はこんな感じです。とにかくどちらとも山深い場所です。>

かわいい花ちゃんのブログを拝見していて、南朝の隠れ里といわれる小俣京丸の里にとても興味を抱いておりました。一度訪れてみたいと思っていたのですが、以前記事にも書いたように、小俣の里は昨今の大雨の影響で土砂崩れが起こり崩壊してしまい、小俣の集落に入れなくなってしまったということでした(それでも花ちゃんさんは土砂に埋もれた小俣集落に突入したという・・・)。

小俣は無理そうだけど、尹良親王をずっとお守りしてきた藤原家のある京丸には行けそうかな?ということで、京丸の里の方へ行ってみようということになりました。

とはいえ、色々と調べてみると、なんだかすごい山奥みたいで、道もどんな道なのかが全く想像が出来なくて、でも、京丸山に登山する人もいるみたいだし・・。一体どうなってるんだろ?という感じだったので、ひとまず行けるところまで下見をしてみたのです。

車を走らせ、国道362号線から石切方面に入っていくと、まず車一台分の幅しかない隧道に遭遇で、いきなりここでビビる そして、豊岡発電所からさらに京丸方面の道に入ると、ビタビタに湿った細い林道に「対向車来たらすれ違えないじゃん?!」ってな感じにビビる それでも頑張って走っていると対向からトラックが来てしまい、細い林道をバックする羽目になり、おまけに脱輪しそうになってビビる

「もういいよ、帰ろう」ということで、この日は途中で引き返し、「こんなすごい道、メゲる・・・。行けるのかな・・・」と、若干意気消沈気味で、しばらく考え込んでおりましたが、スズメバチ、熊、マムシ、山ヒルなどの脅威がないこの時期、凍結などの心配がないこの時期を逃したら、またしばらく行けなくなってしまうということで、先日、思い切って行ってまいりました

さて、若干ドキドキしながらも下見でビビった石切方面に入っていくと、「あれ、隧道って意外に平気に入れるじゃん」とか、「林道も前にきた時ほど、狭さを怖いと感じないじゃん?」と、一度走ってみたせいか意外と気楽な雰囲気で林道を走ることが出来てヤレヤレでした

林道は、途中舗装がなくなり、ダートになり、道がでこぼこしたり、枝が落ちていたり、落石があったりもしますが、気をつけながら走れば大丈夫で、これもヤレヤレでした

林道の途中には、民家も数件あって、住んでいる方がいらっしゃるようです。その近くには石切小学校跡があり、そこには公民館が建てられていました。

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<石切小学校跡の石碑>

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<石切小学校だった建物。>

そして、石切小学校跡からまもなく、京丸の藤原家、京丸山へ登山する入口に到着。この先はゲートが閉まっているので、ここに車をとめて徒歩でいきます。


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<ゲート前のスペースにある案内看板。>


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<そんなに高い山はありませんが、山々が折り重なる深い景色です。>


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<晩秋の林道に木漏れ日が静かにさしています。>


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<落ち葉をサクサク踏みながら歩きます。>


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<青空と晩秋の山。>


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<美しい景色を眺めながら林道をテクテク歩いていきます。>

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<林道の下は崖になっていて、川が流れています。川の流れる水音と木々のざわめく音、鳥の声・・・、自然の音だけしかない気持ち良い空間です。>

さて、1時間10分ほど、距離にして5キロほど歩いて行くと、藤原家へと繋がる私道がありました。その私道に入らせてもらい、坂道を上がっていくと、建物が見えてきました。歩き始めは小寒かったのに、ふ~、暑い~。汗、汗


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<神社のような祠なのだろうか?この背後には御神木かとも思われるような杉の大木が。>


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<その建物の裏にある杉の大木。>


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<春野町の名木百選に選ばれているようです。樹齢は不明らしいですが、かなり太いので相当な年数が経っているのではないでしょうか?>


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<ちょっくら失礼して杉の波動を感じさせていただくの図。重厚感のある中に、暖かさ、柔らかさを感じました。しかし、なかなか反応を示してくれなかったので、人の気に慣れていないせいか?はたまた動かざること山の如しのような芯の通った精神が宿るような杉なのかな?なんて思ったりしましたが、はて、どうなんでしょね?>


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<神社のような建物の近くにある石碑。大正9年7月に民俗学者の折口信夫がここを訪れ一泊したと記してあります。>


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<そして、石垣の積まれた上に立つ京丸の藤原家の屋敷。>


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<横から見た藤原家。日当たりが良くて、ホッコリするような穏やかな空間。昔の田舎の家ってこんな感じだったよね。>


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<藤原家の前は京丸谷。この谷に京丸ボタンが咲くらしい。>


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<石垣の上に建物が・・・>


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<登ってみるとまた祠のような建物。これは阿弥陀堂らしい。>


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<親鸞が訪れたという伝説もあるようで、お堂の入り口には、牡丹谷を眺める僧侶の絵が掲げられている。お堂内の天井には竜などの絵が描かれているようです。>

さてさて、一通り探訪を終え、林道を戻ることに。帰り道は、写真を撮ったり、吊り橋で道草したりで結構時間がかかってしまいました。

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<さすがに吊り橋は怖くて真ん中には行けなかった(>_<)>

ラジオも入らない、携帯も圏外のこの場所は、自然そのもの、その時がそのまま残されているような空間、時がゆったりと穏やかに流れているようなそんな空間でもありました。実は、富士~小俣京丸~奈良県北山宮を結ぶ図の、レイライン上に私の実家もどんぴしゃで乗っかって来るんですね。そんな理由もあって、この空間を味わってみたいと思ったのでした

折り重なる山々が屏風のような、つい立のような役目をし、山の懐深くに抱かれるような、日当たりのいい空間。北朝からの追手の危険をのぞけば、穏やかに静かに暮らせるいい空間ではないかと思った次第です。きっと逃れてきた南朝の皇子、皇女らもこの空間にひと時の安堵と癒しを感じたのではないかと思います。

おまけ1。

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<藤原家の軒先に写った緑の光と虹色の光。>


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<石切小学校跡の近くにある石切集落の八幡社、尹良親王座像がお祀りされているという。ここにも同じような緑の光と虹色の光が出現。太陽光線の加減でたまたま同じような光が写ったのだとは思いますが、同じような位置に同じ色の玉ということで、ひょっとして光の玉ちゃんがまた出た?なんて思ってみたりもして。はてさて、どうなんでしょうね?>

おまけ2。

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<藤原家へ登る坂道にあった鹿の角。>


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<林道の下を流れる川。この川の中央の岩に目が写っている・・・


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<拡大図。木が三角形のように立っていて、その中心に目。フリーメーソンか?!>

鹿の角に、三角の目。あれ、これは、まるで鹿男あをによしの鎮めの儀式みたいじゃないですか。じゃあ、誰が鹿の運び番で、誰が鹿の使い番なのかしら?おまけに、ドグオ氏は鹿の角を持って「MY 鹿です」とドラマの多部未華子ちゃんの真似して喜んでおる・・・

・・・最近、ドラマの再放送に毒されていてすみません

さてさて、12月21日、22日辺りがアセンションの日だと世の中では言われていますが、何らかの価値観が変わる転換期なのでしょうね。現実的に昨今の出来事を眺めてみても、そんな風に感じます。そんな時期に、レイラインのヘソに当たる地に訪れることが出来たということは、何かのお導きかなと思う次第です。京丸のあの場所にいると、今の世の中のめまぐるしい動きがウソのように感じられました。まさしく600年間、南北朝の争乱を避けて、世間の流れから遮断されていたそのままの空気があるように思いました。ラジオも携帯も入らいない、電波や電磁波の影響がないさっぱりした空間はいかにも清々しくもありました

しかし、運動不足の足には、いきなり往復10キロの道のりちょっときつかったかな?2~3日、殿筋が筋肉痛でした

おしまい(*^_^*)


テーマ : スピリチュアル    ジャンル : 心と身体
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