B フレンズ

穂の国東三河を中心に、三遠南信の歴史と謎、エネルギーを探求しています。ブログタイトル改めました。

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  1. 隠れ南朝伝説
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南朝リレーその7 ~小俣京丸から後南朝へのライン~

昔々読んだ小松左京の本の中に、「そういえば南朝の事が出ていたような?」と思い出したドグオ氏は、本棚をさばくってみたところ、すっかり茶色に変色した昭和49年発行のハヤワカ文庫、定価320円を見つけ出しました

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「本邦東西朝縁起覚書」 著:小松左京 
現在は絶版です。興味のある方は古本もしくは図書館でお探し下さい。

南北朝の読み物としては、かの有名な「太平記」があり、また吉川英治の「私本太平記」が一般的にはよく読まれていると思います。

NHKの大河ドラマでもかつて真田広之主演で「太平記」をやったことがあるけれど、この時代を取り上げたドラマや映画や小説は、最近では少ないようですね。

信長、秀吉、家康の三英傑が出てくる戦国時代ものと比べて、話がややこしいのと登場人物にあまりにも馴染みがなさ過ぎて、一般大衆には興味がなく、ウケないのでしょうね

戦前は、楠木正成の活躍などは広く国民に知られたものらしいですが(国策でしょうか?)、戦後は一転して、かつての天皇に忠誠を誓った忠臣の話などは、戦争の反省とやらで、無かった事のように扱われているように思います。

さて、SF小説の大家である小松左京が、その数少ない南北朝を題材に扱った作品が「本邦東西朝縁起覚書」であります。

その内容は、「歌書よりも軍書にかなし」とうたわれた吉野・・・、という書き出しで始まるタイムパラドックスのお話です。

・・・やたら詮索好きで、どこへでも首を突っ込んでしまう男三人組が、何か面白いことはないかなと吉野を訪れた。

奈良県橿原市から吉野へ向けてオンボロ車で出発した三人組。吉野町を過ぎ、窪垣内のあたりから東熊野街道へと入り、険しい山道を走らせていると、柏木のあたりで車がオーバーヒートをする。

そこでしばらく小休止をしていると、仲間の一人が、「川上村金剛寺という寺に、河野宮の墓があるぞ」と言うが、他の二人は、「河野さんって誰?」というような、南朝の事は何も知らないというリアクションだった。

すると、「河野宮というのは、後南朝悲劇の皇帝だ。自天王の話を知らないんか?ここから先は、北山村まで後南朝遺跡がたくさんあるぞ」と言って、ここからこの三人はやっかいなことに首を突っ込んでいくことになるのであった。

結局、南朝の三ノ公かくし平にたどり着いた彼らは、そこで何と、本物の南朝の皇子に出会うのだった。

「壺中遊行の術」なる仙人の秘術がある。その術によって、壺に見立てた石棺の中に、その身を封じ込められた南朝の皇子とその家来。南朝をお助けするために役行者によってかけられた術であったが、約500年ぶりに、この詮索好きの三人の男によって、なぜか封印が解かれてしまったのだ。

復活した皇子は自天王といい、「我こそは、正統の天皇なり。」と宣言すると、現代まで脈々と南朝再建の意志を守り続けていた民衆が、自天王の元に集まり、なんと、現代の政府と政権を争って対戦することになってしまう。

「北朝は約束を破り、またまことの神璽はこちらにあり、皇統の正統性は我々にある。」
「偽王朝である北朝を倒し、皇統を正統にかえすためだ」と自天王はいう。

自天王軍と自衛隊の一大決戦が関ヶ原において行われ、やがて、日本は木曽~九頭竜ラインを境にして、東西に政府が分かれる、東西朝時代となってしまう・・・。


あらすじはこんなところです。タイトルの「本邦東西朝縁起覚書」というのは、こういったことによるのですね

自天王というのは、南朝再建のための抵抗勢力といわれる後南朝の最後の天皇といわれる人物で、小倉宮(父・後亀山天皇)の皇子とか後亀山天皇の弟の子とか長慶天皇の孫とか言われていますが、詳細は不明。自天王の弟宮が河野宮です。

この小松左京の小説には、役行者が出てきたり、源義経や天狗が出てきたりして、かなり荒唐無稽な話ではありますが、意外とリアルな部分もあって、戦後の自称天皇というのは、こんな感じなのかもしれないとも思ってしまいます。

小説の中に後南朝の遺跡がたくさん紹介されていて、自天王の御所が、奈良県上北山村小橡の「瀧山寺」にあり(すぐ近くに北山宮)、弟宮の御所は、奈良県川上村に「河野御所」として設けられたと書かれています。

さて、この話を元にして、南朝の隠れ御所と伝えられている静岡県春野町の小俣京丸と、奈良県上北山村の瀧山寺をラインで結んでみようかなと思って、とりあえずそのポイントを直線で結んでみると・・・、あら、まあ、なんと、そのラインは夏至の日出と冬至の日没の角度、レイラインで結ばれてしまったのでした

これは、面白いと思い、小俣京丸を中心にして、反対側には何かあるのかな?と線を伸ばしてみると、山梨県の富士山の北麓方面に行くではないですか。

ひょっとして、南朝の隠れ大本営といわれる「富士谷」はこの辺りかと思って調べてみると、富士吉田市大明見辺りで発見された宮下文書(富士古文書)が保管されていたという「阿祖山太神宮」がライン上に乗っかってきました。

で、さらにその周辺を探ってみると、三浦氏の唱える「松良親王生誕地 富士の皇居」といわれる都留市法能も近くにあります。

都留市に関しては、宗良親王も「名にたてる鶴のこほりの民なれば千世のみつぎもたえせさりけり」と、貢物を欠かさぬ都留郡民を歌に詠んでいるので、ここに親王の足跡をうかがうことができます。

ライン上に現れる田貫湖は、後醍醐天皇の本殿があったという伝承があるようです。実は、後醍醐天皇は吉野ではなく、富士に密かに入られておったとか。また、尹良親王が滞在されていたという伝承も残っている場所です。

図にしてみると、こんな感じです。

レイラインblue小俣京丸002
<小俣京丸を中心としたレイライン

図には、南朝に関すると思われる豊橋市、豊川市のローカルな地名も記してあります。一応、当ブログは三河南朝を中心に追っかけておりますゆえに・・・(^_^;)

そして、この図を眺めてみると、水色で示された帯状のラインが、不思議なことに後南朝の歴史の時系列とも一致してくるように思います。

先ほども少し出ました後醍醐天皇の富士谷の大本営の伝承について今回は置いておくことにして、この水色のラインの歴史をみていくことにします。

①天授5年(1379年)、北朝からの襲撃により三河南朝御所・王田殿が崩壊する。長慶天皇らはそこを脱出、富士谷へと逃げる。

元中9年(1392年)、南北朝合体。南朝と北朝は表向き講和する。南朝方には不利な条件が提示されたが、やむなく受け入れた。足利義満と講和した後亀山天皇とは別に、主戦派である長慶院たちは山梨県富士谷の隠れ大本営で南朝の正統の皇統を密かに守り続ける。

②しかし、その後、富士谷も足利方に攻撃され落城。長慶院の皇子である松良親王は皇女綾姫らとともに遠州京丸へと身を隠した。しばし、この地で時の移るのを待ち、折をみて山麓の春野町の気多に下り、そこから浜松の都田へ入ったが、ここも長居が出来ず、浜松市入野を頼ったが、今川氏の勢力が伸びて、奥三河や信州方面の各地へと潜伏していった(藤原石山氏の資料による)。

③応永31年(1424年)、信州浪合にて、南朝皇子が土俗に襲われたたいう浪合遭難があり、浪合で自害された尹良親王(ゆきながしんおう)を春野の高塚山に弔い、そこを守るために、京丸の地で、藤原家の方々が代々暮らしたところが小俣京丸です。
*浪合遭難には、応永3年と31年と永享7年と諸説が伝えられていますが、ここでは応永31年説を取らせていただきました。

④南北講和を受け入れた後亀山院の流れをくむ小倉宮も、その後、約束を違えた北朝に対して抵抗をはじめ、嘉吉3年(1443年)に、南朝与党らが突如御所に乱入し、神璽と宝剣を奪いとり、叡山に立てこもった。

その後も、南朝の血統を引く宮方の挙兵は、奥吉野の山中に続々と続いた。

⑤長録元年(1457年)に、赤松家の残党により自天王と弟の河野宮が殺害され、首級と神璽を奪って逃げた。これにより、後南朝も終焉を迎え、建武3年(1336年)に後醍醐天皇が吉野に転居し朝廷が分裂してから約120年もの長くにわたる南北朝の争乱は、歴史の中から消えていったのでした。


このように見てみると、後南朝の歴史の一連の流れが、この図の中で、日出から日没になぞらえられてしまいました。

歴史の中からも消えていってしまったというように、まるで栄枯盛衰の没落の図のような、一見残念な感じにもみえます。しかし、冬至の日没は、最も太陽のパワーが弱くなる時期ではあるけれども、ここを境に太陽はまたパワーを増していくということで、南朝再生への祈りがここに込められているようにも思えてきます

呪術的な理由でこのように移動していったのでしょうか?いやいや単なる偶然か。それとも、時空の仕掛けた壮大なシナリオなのでしょうか・・・

もしかしたら、南朝の御魂は、次なる再生へとパワーを蓄え、着々と準備しているのかもしれません。そして、小説にもあったように、どこぞの壺から、南朝の親王、内親王、ご家来衆が、「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃ~ん」なんて、まるでハクション大魔王のように出てくるのかも?なんてね


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2017.9.19ブログタイトルを改めました。

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