B フレンズ

穂の国東三河を中心に、三遠南信の歴史と謎、エネルギーを探求しています。ブログタイトル改めました。

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  1. 隠れ南朝伝説
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南朝リレーその5 ~天恩寺 岡崎市~

岡崎市片寄町(旧額田郡額田町)。ホタルの里でも知られる山里に天恩寺というお寺があります。

三河南朝研究の藤原石山氏の資料を読んでいた時に、このお寺のことが出てきたので、気になって探索に出かけてきました。

とはいえ、天恩寺について、あまりよく下調べもせずに出かけてしまったので、どんなお寺なのか全く分からずだったのですが、訪れてみると、なんとまあ、素晴らしく美しいお寺でビックリでございました

さて、天恩寺というのはどんなお寺かというと・・・、

建武2年(1335年)。矢作川の戦いに敗れた足利尊氏は、「明日の戦に勝利させていただけたら、報恩のためにこの地に寺を必ずや建立いたします」と延命地蔵菩薩に戦勝祈願をすると、翌日の戦に大勝利。その後、将軍となり室町幕府を開くが、尊氏はその約束を果たせず、遺言とした。貞治元年(1362年)、三代将軍の足利義満がその遺言に従い、見性悟心(けんせいごしん)禅師に命じて天恩寺を建立。見性悟心禅師は、師である円応国師を近江より招き開山とし、自らは第2世となる。境内には、徳川家康ゆかりの大杉がある。長篠城の戦いの出陣の折、この辺りまで来た時、大杉の影から敵が矢を射かけるところを、延命地蔵の呼びかけにより難を逃れた家康は、これを大いに喜び、地蔵菩薩の前に三拝九拝し、何度も何度も馬上よりこの大杉を遥拝しつつ戦場に向かった。それにより、この大杉を「家康公見返りの杉」と呼ぶ。慶長7年(1602年)、徳川家康より寺領百石の寄進があり、以後江戸幕府により保護を受けた。建物の作者は不詳なれど、貴重な室町時代の禅風の建築であり、仏殿、山門は国の重要文化財。ご本尊は延命地蔵菩薩。臨済宗。


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<天恩寺略由緒>


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<道路際の駐車場に車を止めて、木立に囲まれた石段を登っていくと、門が見えてきます。>


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<門をくぐると見えてくるのが・・・>


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<大きな杉。>


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<この杉が家康ゆかりの大杉です。>


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<石垣が組まれた上に凛とした建物が見えます。>


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<貞治元年(1362)創建当時の姿が残る仏殿。入母屋、檜皮葺、桁行3間の室町時代初期の大変貴重な建物。国指定重要文化財。天に向かって反り返った屋根がとても美しいです。>


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<横から見るとこんな感じ。>


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<そして、天恩寺の境内には、古い土塀が残っていて・・・>


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<その土塀の瓦には菊の紋>


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<菊の紋>


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<足利一門諸家の家紋、二つ引両紋もありました。>


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<江戸時代に組まれたという石垣ですが、まるでお城のようでもあります。>


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<天恩寺への登り口の石柱。帝国特別保護建造物と書かれたこの石柱は、戦前に建てられたようです。>

以上が天恩寺のあらましでしたが、天恩寺の創建の逸話となっている建武2年の矢作川の戦いというのは、後醍醐天皇の命を受けた新田義貞と足利尊氏旗下の足利直義・高師泰が三河国の矢作川で布陣し、足利勢は敗れて遠江国へ退却した戦いのことです。

史料によると、矢作川の戦いで出陣し、足利軍を率いていたのは尊氏の弟の足利直義と高師泰となっているので、足利尊氏が岡崎の地で戦勝祈願したというのは、はてさてどうなんでしょうか?

創建の由来となっている矢作川の戦いですが、この戦いに敗れた足利軍は10日ほど後に、現静岡県駿河区で手越河原の戦いを行いましたが、これも南朝方の勝利で終わっています。そして、この一連の合戦の中に、“鷺坂の戦い”というのが三河であったとされ、それは現在の豊川市八幡町西明寺付近の地名に由来するといわれますが、豊川市篠束町にある篠束神社付近にも鷺坂の名がありました(神社の氏子が鷺坂会という名で活動しています)。

他にも鷺坂の名は、静岡県磐田市にもあって、ここで行われた戦いが“鷺坂の戦い”という説もあるようですが、鷺坂の戦いについては、どこで行われたのかが諸説あり、また、矢作川の戦いという合戦も、愛知県岡崎市の矢作川付近から静岡県の手越河原に至る広域な合戦のことだと思われます。後世においては、合戦自体の詳しい資料などが残っているわけでもなく、太平記などの記述を参考にするしかないのです。ちょっと横道にそれますが、国府がおかれた場所(豊川市と磐田市)に鷺坂と呼ばれる地名があるというのは面白いですね。

ちなみに豊川市八幡町の西明寺は南朝ゆかりのお寺で、長慶天皇並びに松良親王の位牌が安置されているそうです。目と鼻の先に住んでいたのにホントに知らなかったわん

もうひとつ疑問ついでに、天恩寺の創建について、「貞治元年(1362年)、三代将軍の足利義満がその遺言に従い建立した」となっていますが、1362年の時点では義満4歳で、将軍にもなってないんですけど・・・、とツッコミを入れたくなります(^_^;)

さて、お寺の伝承では天恩寺は北朝方となりますが、南朝を供養するお寺であるという考えと、三河から遠州地方にかけて展開する南朝方に睨みを利かせる拠点としての役割のお寺という考え方も出来るかと思います。

藤原石山氏の資料には、天恩寺のある地域は、作手街道の要衝の地であり、額田町の山中に南朝の残党が多く潜居したことから、足利氏も重要視し、天恩寺を建立して、南北戦死者の供養につとめると共に、南朝に味方した残党の台頭を抑えたのではないか。額田の山中には南朝方の皇子皇女をはじめ、戦死した犠牲者を弔う供養も多数散在しているとあります。

南朝方を供養するお寺といえば、今川氏によって1441年に創建された妙厳寺(豊川稲荷)だということですが、年代的には南北朝の争乱がだいぶ落ち着いてからの話になります。天恩寺の場合は、創建年代から考えると、南北朝真っただ中ということになりますので、供養だけというのは少し違うのかもしれません。

なので、南朝方に睨みを利かせる拠点として考えてみるのが、スッキリ来るかなと思います。

しかし、もう一丁、ひねりを利かせて考えてみると、南朝方の拠点だったのかな?とも思えてきます。

なぜそう思うのかというと、天恩寺の仏殿、あの姿かたちが、三河南朝御所、王田殿にあったとされる念仏堂にソックリな点がとても気になるからです。


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<豊川市御津町の大恩寺にあった念仏堂。写真でも十分に分かると思いますが、この建物と天恩寺の仏殿はソックリだと思いませんか?!>

三河南朝御所・王田殿にあった阿弥陀堂を移築したのが大恩寺の念仏堂。こちらは桁行5間なので、天恩寺の仏殿より大きいですが、サイズこそ違え、室町時代の様式、屋根の形、雰囲気がホントにソックリです。どちらも室町時代の極上の逸品で、ひょっとしたら、施主か大工は同じかも知れないと思えてくるほどです


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<これは大恩寺念仏堂内の厨子ですが、天恩寺仏殿の内部にも、これとよく似た厨子がありました。>

江戸時代に作られたといわれる天恩寺の石垣も、本当は南北朝時代のことで、実は城郭のような役割だったのかも知れないと妄想してしまいます。

で、もうひとつ、ちょっと気になるのが、お寺の名前。岡崎の天恩寺、南朝に関係するとされる豊川市御津町の大恩寺と豊川市平井町の報恩寺(懽子内親王の伝説)。これらのお寺に“恩”という字があるのは単なる偶然なのかなぁ?

テンオンジ
ダイオンジ
ホウオンジ


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<オンジ繋がりに何か暗号でもあるのだろうか・・・?と大変気になるべ。>

そんなこんなで、ややこしい南北朝絡みの話は色々ありますが、天恩寺はとても素敵なお寺でしたこれからの季節は紅葉もきれいだと思いますので、ぜひ訪れてみてくださいな


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  1. 神社仏閣
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神社仏閣ステッカー

先日、熱海にある伊豆山神社へ行ってきた方から、お土産に伊豆山神社のステッカーをいただきました

現在放送中のNHK大河ドラマ「平清盛」で、今ちょうど、流罪先の伊豆で、源頼朝と北条政子が出会う所をやっていますが、頼朝と政子が逢瀬をしたという伝説があるのが、伊豆山神社なんですね。そんな話から、縁結びの神社として知られています。

また、もうひとつは、神社マニアの間では、瀬織津姫ゆかりの神社としても密かに注目されているところです。

以前、別ブログの方でもちょっとご紹介したのですが、2年くらい前の話になりますが、伊豆山神社に行った方が、会社の同僚の女の子にこの神社の縁結びのお守りをお土産にあげたのです。この時、その同僚の女の子には彼氏の話もそんな気配も何もなかったのですが、数か月後のある日、「私、結婚することになりました」と突然報告されビックリしたという話がありました。

1件とはいえ、とりあえず身近な実例がありますので、縁結びをご希望の方、行ってみてはいかがでしょうか?

先日、お土産をもってきてくれた彼女は、当ブログの菟頭神社(豊橋市高塚町)の記事を読んで整体に来てくれるようになりました。神社に行くのが好きだという彼女は、「玉置神社があってるのかもしれないよ?」と教えてあげたら、なんと、一人で玉置神社まで行ってしまったのでした。「凄い山奥で心細くてどうしようと思ったけど、行ってみたら凄く気持ちのいい場所で、また行きたいと思った」と話していました。

今回も「なぜか伊豆山神社へ行くしかない!!」と思いたって、良縁祈願に行ってきたということなので、よいご縁と巡り合えるといいなと思いますガンバレー!

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<シックかつちょっとした豪華さも感じるようなステッカーですが、よく見ると蛇が絡みついているという迫力あるデザインです。ヘビのような執念で良縁ゲットだぜ!って感じかな(^_^;) ステッカーには現場のエネルギーを封入してきたらしいです

さてさて、伊豆山神社のステッカーをいただいたことから、そういえば、以前神社で買ってきたステッカーというのもがあったよな?と思い、探してみたら、いくつか神社ステッカーが出てきました。普段は人がいない神社しか行かないので、なかなかステッカーを集めることが出来ない&思いついた時にしか買わないので、コレクション的にはまだまだショボイっす

神社の御神徳やシンボル的な物が、うまいことデザインされていて感心します。眺めていても楽しいです。


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<岡崎城にある龍城神社の交通安全のステッカー。金属プレートの豪華版。ちょっとお値段高めですが、葵のご紋が眩しいです。>


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<岡崎市真福寺の交通安全ステッカー。物部守屋の子、物部真福ゆかりのお寺。竹膳料理でも有名です。>


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<滋賀県坂本の日吉大社。魔さるさんがカワイイですね。>


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<秋葉山本宮のステッカー。天狗のうちわがデザインされていて、なかなかオシャレです。>

神社仏閣で御朱印をいただく人は多いかと思いますが、みうらじゅん氏のようにバカバカしいほどにマニアックに特化して集めてみたら、結構いいコレクションになるのではないかと思うです。神社マニアで暇な人はチャレンジしてみてくださいな。面白いジャンルだと思いまふ


テーマ : 神社仏閣    ジャンル : 学問・文化・芸術

  1. 隠れ南朝伝説
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遠州ノ秘境 南朝ノ里 崩壊ス( ̄▽ ̄;)

静岡県浜松市天竜区春野町小俣京丸という所があります。

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秋葉山本宮秋葉神社のある秋葉山よりさらに山奥にあるその場所は、日本百名山の著者・深田久弥(きゅうや)氏でさえも、「疲れた、参った」というほど、行くのにかなり大変な所で、そんな険しい道のりを越えて行った先にあるのが、秘境ともいわれる小俣京丸にある小俣の里と京丸の里。

京丸山の南東、京丸川の上流にかつてあった集落が京丸の里で、遠州七不思議のひとつ、60年に一度、たらいのようなドでかい花を咲かせるという「京丸ボタン」の伝説で知られる場所です。そして、京丸川の南部を流れる小俣川の右岸にあった集落が小俣の里。この二つの地域は南朝の隠れ里でもあるのです。

遠州地方の南朝伝説探りの参考にさせていただいている「かわいい花ちゃんのブログ」というブログがあります。不思議な縁や不思議な出来事が重なったことから南朝の京丸や宗良親王(むねながしんのう)、尹良親王(ゆきよししんのう)を探究されているという方のブログなのですが、つい先日の9月7日の記事に、「小俣の里が昨今の大雨で土砂崩れが起こり、崩壊してしまった」と書かれていて、大ショックを受けたエネ研なのでありました

「ほ、崩壊・・・

携帯電話も圏外で、山ヒルや黒マムシもいて、もしマムシに噛まれたら町にたどり着くまでに命が持つだろうかなんて話もあって、少々ビビってはいましたが、一度訪れてみたいと思っていました。昭和41年に廃村になってしまった地域ではありますが、600年存在してきた里は、どうやら土砂崩れで押し流されてしまった様子です。

石で組まれたあまりにも立派な水路も崩落してしまったのでしょうか・・・。

かわいい花ちゃんさん曰く、「ここに南朝の御所があって、三種の神器もここにあったのではないかと思う」とのことで、分け入るのに困難な山奥に作られた立派な石組の水路をみると、何らかのものがここにあったのだろうと考えさせられる場所です。

今までも様々な自然災害はあっただろうに、それでも600年間ずっとそこに存在してきた里が、昨今のゲリラ的な大雨であっけなく崩壊してしまっただなんて、そんなことがあっていいのだろうか・・・(>_<) それほど最近の自然災害というのは強烈ってことなんでしょうか

さて、南朝の隠れ里といわれる小俣京丸という里。謎に包まれた南朝の話でもあるので、詳しいことはよく分からず、また諸説色々とあるのですが、長野県浪合村で自刃された尹良親王(宗良親王の皇子)の首を高塚山に葬り、それを小俣の里よりさらに深い山奥にある京丸の里でずっとお守りしてきたのが藤原さんという家なのだそうです(何年か前に山を降りられて、今は家だけが残っているようです)。

北朝に見つからぬように、山深い僻地へ身を潜めた南朝の人々。そんなひっそりとした京丸の里の民話に「京丸ボタン伝説」という悲話があるのです。

・・・足利の世。追われた南朝は山奥に隠れ住むようになった。京丸もそんな落武者の里であった。

大嵐の過ぎ去ったこの山奥の里に、一人の若者が倒れていた。よそ者を決して入れてはならぬという村の掟で、本来ならば殺してしまう所ではあったが、嵐で迷い込み怪我をしている様子の青年を助けることになった。

大変感謝した青年は、養生をしながら村人の仕事を手伝い、しだいに村人にも親しんでいった。ただ、青年は、口がきけないようで誰とも話はしなかった。

そんな青年に村長の娘、菊が好意を持っていたが、ある日、二人でいるところを見つかり、青年は、村を出ていくことになった。一人で出ていくはずだったが、菊に好意を抱く別の青年を殺めてしまったことにより、菊を一緒に連れ出すことになり、二人で村を出て行った。

青年は、自分は北朝の家臣の家の息子で三太郎といい、菊の村で助けられた時に、ここは南朝の里だということが分かったので、口がきけないふりをしていたと打ち明けた。

菊とともに、駿河の焼津にある実家に戻った三太郎であったが、菊が南朝の里の娘だと分かると、嫁に迎えることはできないと親から反対をされる。しかし、それに食い下がる三太郎は、自分の兄に刺されて亡くなってしまう。

三太郎の亡骸にしがみつき号泣する菊。一度村を出たものは二度と帰れないという村の掟ではあるが、行くあてのない菊は、やはりお母さまのところに帰りたいと思い、京丸の里へと戻ることにした。

飲まず食わずで三日間歩き通した菊の目にうつったのは見覚えのある美しい京丸山。そして、千尋の谷にかかる吊り橋の上から、山を見上げてみると、そこには傘くらいある大きな白いボタンが5輪咲いていた。

「あれが、お母さまから聞いた60年に一度咲くという京丸ボタンか。死ぬ前に一度見ることが出きたとは有難い。お父さま、お母さま、愚かな菊をお許しください。三太郎さまの元に参ります」とつぶやいた菊は、橋の上から谷に身を投げた(三太郎と菊が二人で身を投げたという話もあるみたいです)。

その花が咲くと天変地異が起きると伝わる京丸ボタン。菊がその花を見た翌年、遠州、駿河一帯は、とてつもない天変地異に襲われた。家々も倒れ、三郎太の家も津波に飲み込まれ、誰一人助からなかったと・・・。


この不思議な京丸ボタン、京丸に住んでいた藤原さんが1913年に咲いているのを見たという話があるそうですが・・・。その後は咲いたことがあるのでしょうか?

前回のブログで紹介した、蒲郡市形原の「田土社」も、草木に覆われて、その姿を遠くから眺めるしか出来ないような状態になっておりました。御津町の大恩寺にあった念仏堂も火災により焼失してしまったし、また昨今の大雨で十津川など南朝ゆかりの地が土砂崩れで大変なことになっていると思います。小俣京丸も田土社もその他のゆかりの地が、このまま自然の中に還り、と同時に南朝伝説や南朝の伝承地に寄り添うようにある木地師や特殊部落の歴史も、時代の一コマとして時空の中に還ってしまうのでしょうか。

なんだか切ないのう・・・



YOU TUBE キングクリムゾン・エピタフ

キングクリムゾンのエピタフ(墓碑銘)をザ・ピーナッツがカバーしたものです。オリジナルのクリムゾンも良いのですが、このバージョンはなかなかの出来だと思います。“我が墓碑銘に現れし言葉は混迷”というフレーズが、南朝の歴史を物語るようにも思います。そして、これからの世界を象徴するかのような内容も含んでいるような気がしてしまいまふ


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2017.9.19ブログタイトルを改めました。

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