今回は、またまたしつこく南朝のお話です。

後醍醐天皇の皇女、懽子内親王(かんしないしんのう)。後醍醐天皇と西園寺禧子との間に1315年に生まれたといわれています。異母兄に井伊谷宮に祀られている宗良親王、異母弟に後村上天皇などがおられます。

父、後醍醐天皇の即位により、内親王となり、16歳で伊勢の斎宮に卜定(占いによって選任)されるも、後醍醐天皇が倒幕計画の変で捕えられ、隠岐に流罪となったため、斎宮を退下する。

流罪となっていた後醍醐天皇は、その後、勢力を取り戻し、天皇に復帰。そして、大覚寺統(後醍醐天皇側・南朝)による持明院統(北朝)に対する融和政策のためにか、懽子内親王は、母の喪に服している中にも関わらず、持明院統(北朝)の光厳上皇の後宮に入内。

ところが、当初、後醍醐天皇側に味方をしていた足利尊氏が離反し、持明院統の天皇を立てたため、後醍醐天皇は吉野へと逃れ、南北朝が始まることになる。

父、後醍醐天皇が崩御すると、懽子内親王は、光厳上皇の御所を抜け出し、仁和寺で出家し、48歳で亡くなったと伝わります。

南北朝の橋渡しを担ったとはいえ、時代の流れの犠牲でもあったと思われる懽子内親王。隠れ南朝だったという三河吉野朝の正統の皇統である長慶天皇をお守りするために自らの身を犠牲とし、身代わりとなったと伝わる皇女とは、懽子内親王のことではないかという説があるのです。

1362年48歳で亡くなったとされる懽子内親王ですが、子細な記録が残っていないため、彼女の出家後の行動、亡くなった時期や墓所、光厳上皇との間に生まれた二人の皇女のことなどは実際のところはっきりとしていません。なので、出家後に、ここ東三河の地を訪れていたのかもしれないというのは、無きにしも非ずとも考えられます。

ということで、東三河に残る懽子内親王の伝説の場所を巡ってみました

まずは、蒲郡市西浦町にある無量寺です。

西浦山無量寺縁起によると、天歴5年(951年)、良久上人によって開創された、蒲郡ではもっとも古いお寺とされています。良久上人が全国行脚でこの地を訪れた際、絶景の三ヶ根山中での荒行中に、日ごろ信仰している不動明王を感得。そして、霊光輝く大木で不動明王像を刻み、西浦の地にお堂を建立したのが無量寺の始まりで、これが秘仏のご本尊、厄除け西浦不動といわれる所以だとのことです。

縁起によると、開創より約400年後の正平年間(南朝で使用された元号で1346~1369年の期間を指す)、後村上天皇一行が三河湾を航行中、海難に遭い、天皇は三河湾に浮かぶ篠島へ、懽子内親王は西浦の岬に無事到着。懽子内親王は無量寺に留まり、後日、感ずるところがあって尼となったという。

現在では、西浦不動がん封じ寺という名でも知られ、多くの参拝者が訪れています。


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<観光バスも訪れる西浦無量寺>



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<身代わり滝不動>


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<大きなクスノキも境内にあります。クスノキといえば南朝の忠臣であった楠木正成一族を象徴するものですね。>


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<無量寺のクスノキは、清田(せいた)の大クスに次いで蒲郡市内二番目の大木であると説明してありますが、清田の大クスといえば、南朝皇統の末裔であると自称する三浦氏が修業した安楽寺というお寺のすぐ近くだというのも、何かあるのかな?と思ってしまうところです。>


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<無量寺の片隅にある石碑ですが・・・。この石碑の背後に見える木の後ろ側に・・・>


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<このような供養塔のような古い石塔が建てられています。この石塔が、懽子内親王の供養塔だということですが・・・。>

藤原石山氏らによると、身代わりの皇女・懽子内親王は巳様とも呼ばれ、それを祀ったのが西浦無量寺のすぐ近くにある「田土社」で、ここはイボや皮膚病に霊験あらたかということで、かつては参拝する人で賑わっていたということです。

田土社は、「たのつちしゃ」とよみ、祭神は、天之目一箇命(あめのまひとつのみこと)。田土山の中腹にあって、「瘡毒、體毒等の病に霊験あり。社西の椿の葉を比って患部を撫づる時は快癒すとぞ」というように、皮膚病などに霊験ある神社で、また、雨乞いの祈願をしたこともあったようです。

田土社の祭神の天之目一箇命は、三重県の多度大社の別宮の一目連神社に祭られている神様と同じです。

多度大社の一目連神社は、現在、鉄工・鋳物などの金属工業の祖神・守護神として崇敬を集めていて、製鉄・金属関係の神様となっています。

その田土社は、地図には形原クリーンセンターの温泉施設のすぐ近くにあると記してあるのですが、その周辺をいくら探しても神社らしきものが見つかりません(―”―;) 1回目に探しに行った時には、何度あたりをウロウロしてみても、全く分からずで、おまけに突風が吹いてきて、今まで晴れていた天気がいきなり小石が飛んでくるような嵐の様相になってもうて

「懽子内親王は吹く風の神の垂迹でもある」なんて石山氏らが言っておったように、まるで懽子内親王が何か言ってるのか?!とちょっとビビルような、凄い様相の天気で参ったざんす(>_<)  ということで、この日は田土社を探すのを断念。そして、後日仕切り直しで探してみると、やっぱりクリーンセンターのすぐ裏手の山肌に田土社はありました。

生い茂る草木のその向こうに、鳥居と灯篭が確認できますが、道もなく、草木を押し分けて踏み入ることがどうしてもできず、神社を訪れることはできませんでした(それなりの装備をしていけば可能かも?)。

遠くに眺めるしかできない田土社は、まるで、千と千尋の神隠しのような、あそこから向こうには違う世界があるような、そんな佇まいでしたが、ちょっと残念な気も・・・ どんな風になっちゃっているんだろ・・・


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<無量寺の近くにある田土社。こんな景色になっていました。>

イボや皮膚病がよくなるという霊験(ガンも内部の皮膚(粘膜)にできたイボみたいなものだからがん封じかしら?)は、神仏がその人の身代わりになってくれるから、治癒するということらしく、そこから身代わりの皇女・懽子内親王が結びつくのではないかと思います。

そして、懽子内親王にゆかりのある場所として、王田殿があったとされる場所の近くに、懽子内親王ゆかりのお寺があります(お墓があるとか?)。懽子内親王は「閑子内親王」とも書くようで、このお寺の名も閑通寺といい、懽子内親王を偲ばせるような寺名です。


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<豊川市ある閑通寺。懽子内親王にゆかりのあるお寺だとの話ですが、懽子内親王を示すようなものは特に見つかりませんでした。お寺の前には川が流れています。>


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<瓦には菊紋。>

さて、場所は変わって、懽子内親王の異母兄の宗良親王が拠点とした静岡県引佐の井伊谷に「足切観音」という身代わりの観音様の伝説のあるお寺があります。

そのお寺は、かつての名前は円通寺といい(現在は晋光寺)、縁起によると、宗良親王が、身代わりになってくれた観音様を護持するために草創したお寺だということです。

宗良親王は、敵の流れ矢に当たり落馬したが、不思議なことに矢が当たった場所には傷一つなかった。その夜、観音様の夢をみたので、これは日ごろ信仰する観音様のお陰だと、朝、厨子の扉を開いてみると、観音様の片足から血が流れており、これは観音様が身代わりになってくれたと涙し、終生守り本尊とした・・・、こんな伝説があるようです。


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<静岡県引佐の井伊谷にある二宮神社。>


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<後醍醐天皇の第4皇子、宗良親王が祀られています。>


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<二宮神社を少し下がったところに足切観音が祀られています。>


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<足に由来する観音様ということでわらじが奉納されています。>


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<お堂の瓦には菊紋。宗良親王ゆかりのお寺だから菊紋を使っているんですよね・・・。菊の紋は結構使用されているなんて話もあるらしいけど、後醍醐天皇から菊の紋の使用を許可された武将が、あまりにも恐れ多くて使えなかったという話もあるくらいなので、やっぱ、天皇に関わる何らかのゆかりがなければ使えないんじゃいかと思えてくるのであった。>


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<おまけ。 お寺の近くにいたナーゴたち

さてさて、身代わりといえば、おびんづる様。なで仏ともいわれる仏様で、東大寺やその他の寺院で、「除病したい場所をなでてください」と書かれた仏様を見かけたことがあるかと思います。


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<このようなお姿の仏様です。写真はウィキペディアより。>

先日、岡崎市の瀧山寺(たきさんじ)に行ったら、そこの本堂の中にも、おびんづる様が安置されていたので、私コブメロは「馬鹿な頭がよくなりますように」、ドグオ氏は「腰、腰」なんていいながら、スリスリしてきたんです。

そして、帰宅すると、コブメロは頭痛がしてきたのです。少し横になっていれば治るかなと思っていたのですが、どんどん頭痛が辛くなってきて 「おびんずるが効いたせい?」といいつつ、ドグオ氏に少し肩や首をほぐしてもらったのです。すると、間もなく楽になってきたので、夕食の支度を始めると、今度は、ドグオ氏が、「う、気持ち悪っ・・・」とうずくまっているのです。

「あんたを触っておったら、だんだん気持ち悪くなってきた・・・」と、夕食も食べれないくらいの状態に

最近は、腰が調子悪いとか言っていたはずなのに、この時は「頭が痛い」というので、首を触ってみると、頸椎7番あたりが冷たくなってて。なので、ここをガシッと押さえ込んでみたら、「うわ、来た!」とかいって、なんとか気持ち悪さから脱出したようです。ヤレヤレ。

で、次の日、「ちょっと、ちょっと、おびんづるさんと首の付け根の一撃、効いたよ。腰治ったもん」と嬉しそうに話すドグオ氏であったが、一体なんだったのでしょうね?


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<岡崎市の瀧山寺。本尊は薬師如来。三大東照宮の一つといわれる瀧山東照宮もあります。>

最後におまけ。もりけんの外応の話。

不思議研究所の森田健(もりけん)氏は、外応の話の中で、身代わりに関係するような話をしています。

たとえば、旅行に出かける日に、ちょっと指を切ってしまったなどの怪我をしてしまうと、「これから出かけるのに縁起が悪い」と思う人は多いかと思いますが、もりけんの話では、「時空(宇宙・神)は騙されやすいので、ちょっとした怪我で血を流すことも、大きな怪我で血を流すことも同じ現象と捉える。だから、これを外応として捉え、出かける時に、ちょっと怪我をして血が出たことは、これからひょっとしたら起きるかもしれない、流血的な事象をここでクリアした(済ませた)と考えればいい」と言っています。

なので、血を流すような事象(事故や怪我など)を避けるための身代わりの行為として、献血(体の外に血が出る)をしておくのも手だとも言ってましたよ。

ということで、身代わりの皇女・懽子内親王の話から、おびんづる様、もりけんへと話が飛んでしまい、何だか脈絡があるような無いような話になってしまいました(^_^;)

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テーマ : スピリチュアル    ジャンル : 心と身体
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