B フレンズ

穂の国東三河を中心に、三遠南信の歴史と謎、エネルギーを探求しています。ブログタイトル改めました。

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  1. 菟足神社
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菟足神社・風祭り

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もうすく菟足神社の風祭りです。今年は4月7日(土)、8日(日)です。花火は土曜日の夜7時から行われます。境内では手筒花火、神社の前の空き地で仕掛け花火があります。至近距離から見る仕掛け花火と仕掛け花火のやぐらの真後ろから打ち上げられる“裏打ち”といわれる打ち上げ花火はド迫力☆春先の花冷えといわれるような時期ですが、花火見物、お祭り見物にお出かけしてみてくださいな

東三河は、徳川幕府から火薬の取り扱いを許可されていた地域でした。家康は、幕府に敵対できないように、武器の取り締まりや、武力に繋がりそうなことを排除するように細心の注意を払っていました。「入り鉄砲、出女」といわれるように、関所では武器を厳しく監視し、武士には刀を抜くことも、剣術の練習さえもご法度にしていました。ある大名は、ちょっとだけ剣術をしようとしただけなのに、幕府から謹慎を言い渡されたという話があるそうです。

これほどまでに、諸大名の武力に対してピリピリしていた家康が、どうして東三河の武士のみならず、一般庶民にまで火薬を扱うことを許可したのでしょうか?火薬は、日本国内では産出できないもので、輸入に頼る貴重で高価な物でした。また、東三河は武士から農民までもが、火薬の他にも弓の弦を張った状態で所持することを許されていました。東三河だけが、いつでも戦争OKの、戦闘準備態勢バリバリな感じですよね 何のためにこんなことをさせたのか、家康は何を想定していたのかが興味をそそるところです

そんなこんなの歴史もあって、この地域は祭りと言えば必ず花火というほど、花火が当たり前で、ホントに花火が好きな人が多いです。風祭りの仕掛け花火も、「寄付を集めるのが大変だから今年が最後かも・・・」という話はコブメロが子供の頃から耳にしていたのですが、いまだに仕掛け花火をやっているという・・・ あ~あ、なんだかんだ言って、やっぱ花火はやめられないのね~(^_^;)

そんなコブメロも、従姉妹の家が菟足神社のすぐ近くなこともあり、お祭りの日は従姉妹の家に入り浸り。神社の屋台に花火を買いに行っては、爆竹をバンバン出しまくって、遊び呆けてました。楽しかったにゃ~

おっと、花火好きのバカのしょーもない思い出話はさておき、今回は、菟足神社に関係する場所を紹介してみたいと思います。

式内の古社である菟足神社。祭神は、「菟上足尼命(うなかみすくねのみこと)」です。菟上足尼は、孝元天皇の後裔の葛城襲津彦命(かつらぎそつひこのみこと)四世の孫で、足尼(すくね)は宿禰(すくね)で、古代の姓の一つ、天皇の近臣の敬称です。竹内宿禰の後裔とも云われ、「国造本記」には穂国造りとあります。

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<菟足神社の巨大な兎>

菟足神社のある小坂井町のお隣の平井町に柏木の浜といわれる場所があります。ここは菟足神社の祭神の旧蹟と伝えられていて、菟上足尼命は暴風の末、なんとか無事にこの浜に到着されました。しばらく平井に滞在されていた菟上足尼命は、その後、菟足神社へと移って行ったといわれています。


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<柏の木が三本あります。柏は新芽が出るまで枯れた葉を落とすことなくつけたままでいることから、家が代々続いていく縁起物にされています>

柏木の浜から西へ300メートルほど行った所に、善福寺というお寺があります。

善福寺の伝えによると、平井郷柏木の浜に着かれた菟上足尼命に、平井の郷人が善福寺境内の田園を捧げて宮を造った。その宮の園内にて、蹴鞠の儀が催された時、梅の木に蹴鞠が当たって、梅の実がすべて地に落ちてしまった。菟上足尼命が薨去した後は、この梅の木には梅の実がならなくなった。この梅は“ならずの梅”と呼ばれ現存していると以前書かれた本にはありましたが、イマイチどこにあるのかが分からなかったです。今もあるのかな?

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<善福寺にある菟上足尼命のご休憩跡>

善福寺から西へ100メートルほどの信号交差点の角に、平井の八幡さまがあります。ここに菟上足尼命が祀られていて、その後、菟足神社へと移って行かれたのです。

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<平井八幡社>

お祭りでは、日曜日の午後から、平井から菟足神社へ神様をお連れする神事があります。これが、平井の人が来ないと祭りが始まらないといわれる所以でしょうか。「ほこ様」と呼ばれる神様を地面から持ち上げないように、地面を引きずるようにして、お運びするのです。高さが3メートルくらい?ありそうな竹の竿の先に三角形の飾りと剣のようなものがついていますが、これがほこ様で、これを真っ直ぐに立てた状態で、引きずってお運びするのです。倒してしまうと、また最初の位置からやり直しということで、倒れやしないかとハラハラしますが、これが一度も倒したことがないという話で・・・。ホントかなぁ?

また、ほこ様と一緒に、若い衆が大きなしめ縄を平井から菟足神社まで担いでいきます。この大きなしめ縄は、大きさといい、形といい、なんだか中に人が包まれているような雰囲気もあるんです。お祭りの朝に最初に橋を渡った娘をいけにえにするという、いけにえ伝説から、その娘さんが中にす巻きにされているのだろうか・・・?なぁんて、幼き頃はアホな妄想をしておりました(^_^;)

おしめと呼ばれるこの大きなしめ縄は、菟足神社の一の鳥居にかけられます。このしめ縄をくぐると一年健康でいられるという話を聞いたことがあります。以前は、しばらくすると外されてしまったと思いますので、上手いことくぐってみてくださいな。


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<菟足神社一の鳥居。宿や小坂井地区の大きくて立派な山車も鳥居の所にいて、これもまた見事です>

今年はいまだに寒いせいか、桜の見ごろは4月7日あたりだとかいう話も。桜の花がお祭りをまた演出してくれそうです(*^_^*)

さて、お祭りがらみで、菟足神社関連をご紹介しましたが、実は、ここにも南朝に関わる謎が隠れているようです。前回の南朝リレーその1で紹介した美佐々木のすぐ近くにある、尼御所と呼ばれたという地域のすぐ近くに柏木神社という名の神社があるのです。また、後醍醐天皇の皇女で、長慶天皇の身代わりとなられたという、兎年生まれの灌子内親王が平井にある柏木の浜に上陸されたという伝承もあり、なんだかこれらと関連がありそうな気配がしています。

ということで、この話は次回に・・・


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テーマ : スピリチュアル    ジャンル : 心と身体

  1. 隠れ南朝伝説
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南朝リレーその1~三河吉野朝~

ずいぶん前の話になりますが、パーソナルパワーラインなる個人のお宅から見た「夏至の日の出」、「冬至の日没」のマイパワースポット探しをしていた時のことです。

何人かのパーソナルパワーラインを調べたのですが、その中でも豊川市の御油に住んでいるFさんのパーソナルパワーラインが、「夏至の日の出は本宮山、鳳来寺山」、「冬至の日没は蒲郡の竹島」となっていて、凄いパワーがありそうな場所が出てきていいな~♪なんて思っていたのです。

そして、Fさんチからの東西南北方面には何があるのかも調べてみると、北方向に足助八幡宮、東方向に砥鹿神社旧社地、浜松市引佐の奥山半僧坊・方広寺が出てきて、「これもまた凄いところが出たな~」と。

「ここって何かあるの?何でだろう?」と考えていたら、そのあたり一帯は大木さんが所有する場所だという話を耳にしました。

大木さんといえば、大木氏という氏族がかつて東三河に大きな勢力をもっていて、砥鹿神社のある一宮町に大木という地名が今も残っている。砥鹿神社の祭神に大木食神(おおきくいのかみ)が祀られていて、考安天皇の御代に大木食命(おおきくいのみこと)が豊橋市の石巻山に三河四宮石巻神社を勧請し、大木氏が代々神職をしている・・。この時出たのはこれくらいの情報でした。

そして、先日、徳川家康が世良田次郎三郎だったのではないかという話を調べていた時に、世良田というのは、新田義貞の新田家から分かれた家であるという話から、そういえば、岡崎の糟目犬頭神社には、新田義貞の首塚があるという話を思い出しました(過去記事:二つの犬頭神社)。

糟目犬頭神社の首塚のいわれは・・・、足利尊氏に討たれた新田義貞は、京都で首を晒されていた。これに怒った岡崎の上和田城主・宇都宮泰藤は京都に潜入し新田義貞の首を取り返してきて、その首を犬頭神社に葬ったということのようですが、この首を葬ったことを隠すために、犬の首をはねたという伝説にして隠したらしいのです。

さて、足利尊氏と新田義貞というのは、足利尊氏は北朝方の武将、新田義貞は南朝方の武将ということで激しく敵対していたわけです。宇都宮泰藤も新田と共に南朝に仕える武将で、仲間の首が晒しモノになっていることが許せなかったのでしょう。

「ん?ここで南朝の話が出てくるか?そういえば、足助八幡宮って南朝の家臣の足助次郎が祀られているし」ということで、ちょいと南朝の伝承探りをしてみることになったのです。

いや、でも、南北朝の話や南朝の話は、ややこしさ満載なのでどこまで探れるのかなぁ?といった感じですが、どうやら東三河や遠州地方は南朝方に仕えていた形跡なので、地元に残る古文書(というより古本かな?)を頼りに、まずは超近場から探索開始してみました。

まず、Fさんの地域には何があるのかを探ってみると、南朝の遺跡である塚があることが分かりました。

この塚は、「御坊塚(ごぼうつか)」という名で、南朝の親王である、松良親王(まつながしんのう)の陵墓であるという伝承のようでした。

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<御坊塚全景>

で、何と、さらにその塚の隣には、三浦家先祖代々の供養塚もありました。三浦さんというのは、昭和において、南朝の正統の末裔であると主張された三浦芳聖氏のことです。三浦天皇とも称し、戦後の自称天皇の一人です。三浦家に伝わる独自の串呂哲学なども関係してくるので、三浦天皇の説明については、けっこう面倒くさいのでまたの機会にします。ただ、パーソナルパワーラインを引っ張ってみるきっかけは、ドグオ氏がこの串呂哲学を真似ッコしてみたところからの発想だったりして・・・(^_^;)


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<松良親王の墓と思われる塚>


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<三浦家先祖代々供養塔>


この塚を中心にして、ナンチャッテ串呂をしてみると、真北が足助次郎重範を祀る足助八幡宮になりますが、足助次郎重範というのは、南朝の後醍醐天皇に味方し、笠置山で幕府の大軍と戦い奮戦したけど、落城後に捕えられ、京都六条河原で処刑されたという南朝方の忠臣でした。南朝の忠臣であった足助次郎が祀られている神社が、御坊塚の真北に来るとは、偶然なのか、意図的に配置されたのかが気になってきます。

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<足助八幡宮>

次に、塚から真南に線を引いていくと、御津神社と大恩寺があります。御津神社と大恩寺を調べてみると、ここも南朝とゆかりの深い場所でした。

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<御津神社>

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<御津神社の舟形の石組み ここに雄の龍神が祀られている>

南朝を支持した御津神社の神宮寺だったのが大恩寺で、この大恩寺の念仏堂は、豊川市小田渕にあったといわれる「王田殿」の建物を移築したものだそうです。

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<子供の頃、大恩寺をライオン寺と言っていた馬鹿なコブメロ

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<大恩寺の本堂から見た山門>

この「王田殿」というのは、三河吉野朝の御所の名であったようです。この王田殿のあった場所は、昭和の初期の頃は「王田天神跡」という場所で残されていたようですが、現在では、道路拡張などによって全く分かりません。ただ、該当しそうなそれらしき場所には天神という地名が残っています。

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さらに南へ行くと、豊橋市杉山に長慶寺というお寺があり、第98代南朝・長慶天皇ゆかりの寺だという伝承があります。

さて、今度は真東へと目を向けてみると、一宮町大木に大木氏ゆかりと思われる大木神社が、そして、その少し先に砥鹿神社の旧社地があります。

東三河に大きな勢力をもっていたという大木氏と南朝が何か関係があるのか?

南朝に味方をしていた高井主善という武将が、引佐にいる南朝を守る最後の砦として、石巻山に城を築き、最終防衛線として必死で守っていました。ところが、北朝方の勢いが強く、城は落城。高井主善は自刃しましたが、その正妻と側室は密かに逃げのびました。南朝に味方していた高井主善の側室が、石巻神社の宮司の大木氏の娘で、この戦乱の中、敵方に見つからないように身籠っていた娘を必死で隠し、無事に出産させたようです。この子供はその後、石巻神社の宮司になったという話で、大木氏と南朝の繋がりがここにありました。

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<大木神社 右手には本宮山が望める良いロケーション。しかし神社の表示も何もない状態で由緒のある神社なのに寂しい限りの感じです>

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<砥鹿神社旧社地に近い津守神社>

そして、さらに真東へ行くと、浜松市引佐奥山の方広寺に繋がりますが、この方広寺は、引佐の井伊谷宮に祀られている後醍醐天皇の第四皇子の宗良親王の弟の満良親王が開かれたお寺です。

あら~、またも御坊塚から南朝に深いゆかりのある場所に繋がってしまいました

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<方広寺山門>

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<奥山半僧坊といえば天狗です>

さて次に、真西へと行きたいところなんですが、宮路山、五井山が真西ラインを通過するかなといった感じと、真西ラインからはちょっとズレる地点に、三浦天皇が子供の頃に預けられたお寺や、その後住職をしたお寺があり、この場所も南朝と関わりがあると思われます。この辺りは今後調べてみます。

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図にしてみるとこんな感じです。

図を見てみると、豊川稲荷が書いてありますが、この豊川稲荷も南朝とゆかりのある場所らしいとのこと。

豊川稲荷の奥の院に「狐塚」というお狐さんがたくさんいらっしゃる所があります。静かな森の中の奥にある狐塚。最近、狐塚の岩山に硬貨をねじ込んでいる風景をよく見かけますが、実はある場所を遥拝するための場所だったのではないかということなんです。

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狐塚から真北に、豊川市長草町美佐々木という所があります。ここのお隣は、旧一宮町大木(豊川市大木町)という場所です。

この美佐々木に念仏塚一号古墳があるのですが、かつてはこのあたり一帯は古墳が八基ほどもあったそうです。東名高速道路の工事などで古墳はなくなってしまい、今は小さな念仏塚が残されているだけになっています。

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<ここからは大変珍しいといわれる力士の埴輪が出土したそうです。桜ケ丘ミュージアムに収蔵されています>

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<念仏塚全景>

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<念仏塚の上>

この塚は、昔から南朝の皇子、皇女の供養塚といわれてきたようですが、地元の古老の話によると、美佐々木のいわれについては一切口外してはならぬという、村中の申し合わせがあり、それが故にか、今では何も伝説が残っていないという・・・(あちゃ~、何ちゅーこっちゃ)。

豊川町にある進雄神社(豊川稲荷のすぐ近く)に満良親王が祀られていることから、この塚は無文元選禅師(満良親王・方広寺開基)の御陵墓だと説く方もいますが、この美佐々木の近くに尼御所と伝わる場所があって、そこは後醍醐天皇の皇女の懽子内親王(かんしないしんのう)が密かに住まわれた場所であるとのことから、ひょっとしたら美佐々木の念仏塚は懽子内親王に関係するのかもしれません。*懽子内親王の読み方は諸説ありますが、ここでは“かんし”とさせていただきました。

陵~みささぎ~美佐々木。北朝による激しい南朝討伐から南朝の天皇を守るために、自らを犠牲にし、長慶天皇の身代わりになって自害されたと伝わる懽子内親王。そんな皇女を偲び、美しいという文字を当て、「身を捧ぐ~美佐々木」という地名を彼女に捧げたのか?なんて想像もめぐります。

念仏塚の近くには、「みささぎの滝」といわれる清水の湧く滝があったそうです。工場開発でその姿は失われてしまいましたが、懽子内親王の伝説は、泉式部伝説や泉や滝ある場所に残されているような気もします。

懽子内親王は院名を「宣政門院」と称すことから、宣(せん)は泉(せん)に通じ、懽子内親王=泉式部とみることもできるという説があって、三河玉川宮と呼ばれた場所の近くや豊川市三上の緑野神社、蒜生神社、小坂井町報恩寺などに泉式部の伝説があり、同時にこれらの場所にも、懽子内親王の足跡が見え隠れしています。

泉とか滝などに祀られる女神「瀬織津姫」を追っかけて取材した場所と、今回の三河吉野朝伝説の場所がなぜかリンクしてくるのも、興味深く不思議な感じがします。

古墳や塚、陵墓があった場所が、豊川稲荷の狐塚の真北に位置しているのは、偶然でしょうか?また、図を見ても分かりますが、この美佐々木は御油の御坊塚の真東になっています。偶然には思えないけど、これも偶然なのかな?

三河吉野朝(三河の南朝の歴史)については、日本の正式な歴史としては認められておりません。今回のこの話は、地元の言い伝えや古文書の類を手掛かりに、私たちなりにまとめてみたものです

南北朝の歴史は、とにかくややこしくて、分かりにくくて、歴史ファンでも手を出しにくいといわれるものです。かの司馬遼太郎も、南北朝を題材にした作家は命を取られるみたいなことを書いていました。おそらく調べるにつれて、言い難いこと及び言ってはいけないことが出てきて、結局それが言えないがために、難解な歴史になっているのではないかと思います

でも、この地方にまつわる南朝伝説は、大変面白そうなので、今後も近所をウロチョロしてみたいと思います

御油といえば、かつて5年ほど住んでいたことがある場所で、松並木沿いには友達の家もあったり、今は無くなってしまったローソンで楽しくバイトしていたりと(過去記事その1その2)、懐かしく感じます。今回久しぶりに訪れた御油は、住宅が増えたり道路が整備されたり、松並木も歩きやすいように整備されていたりと、その頃と景色が変わってしまった部分もありましたが、また南朝の伝承を訪ねて出没する予定です

奥山半僧坊のおまけ記事を別ブログに紹介しましたのでご覧くださいませ☆


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2017.9.19ブログタイトルを改めました。

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