佐久奈度神社を出発して、もう一度石山寺方面へと戻り、そこから大津市内を経由して、坂本へと向かいます

7年くらい前にも、坂本を散策しに訪れたことがあったので、何となく景色を覚えていて、道に迷うことなく到着。良かった~(^^)

大津市坂本という町は、琵琶湖の南端の西側、比叡山の東側の麓に位置しています。天台宗総本山比叡山延暦寺や日吉大社の門前町として古くから栄え、比叡山の隠居した僧侶が住む里坊が日吉大社参道の両側に並んでいます。安土桃山時代には、明智光秀により坂本城が築城されましたが、本能寺の変の後、城主となった浅井長政が大津城を築城すると、坂本城は廃城となってしまったとのこと。

穴太積み(あのうつみ)と呼ばれるこの地域特有の石垣の町並みや清らかな水の流れるとても風情豊かな所です。天台宗を開いた最澄生誕の生源寺やロープウェイで比叡山に登れるなど見どころもたくさんありますよ

さて、駐車場に車を止め、日吉大社へと向かいます。

山王権現日吉大社は、日本全国にある日吉、日枝、山王神社の総本宮で、東本宮に大山咋命(オオヤマクイノミコト)、西本宮に大己貴神(大国主神)が祀られています。

創祀は崇神天皇7年、およそ2100年前とされる。古事記に「大山咋神、此の神は近淡海国の日枝の山に坐し」とあり、これが東本宮の大山咋命のことですね。で、ここに記されている日枝の山(ひえのやま)というのが比叡山のことなのですが、日吉大社が、元は日枝大社といわれていたのは、ここからきていたんですね。

スサノウノミコトの御子の大年神(オオドシ神)と天知迦流水姫神(アマチカルミズヒメ神)の御子が大山咋神です。

そして、天智天皇7年(668年)、大津京の鎮護のため、大神神社の神、大己貴神を勧請し、こちらを西本宮にお祀りしたということのようです。それ以降、元々の神である東本宮の大山咋神よりも、西本宮の大己貴神の方が上位とされ、「大宮」と呼ばれるようになったとか・・・。

日吉大社は、平安京の表鬼門(東北)に位置することから、都の鬼門除、災難除のお社として崇敬されてきていて、代表的なご神徳は、方位除け、厄除けとなっています。また、猿を神のお使いとしていて、“神猿(まさる)”さんという神の使いの猿がいらっしゃいます。「まさる=魔が去る=勝る」として、魔除けの象徴となっています。境内地で2匹の猿が飼育されて、可愛かったですよ~(*^_^*)

豊臣秀吉は、幼名を「日吉丸」、あだ名が「猿」ということで、日吉大社を特別な神社としていたらしく、織田信長の比叡山の焼打ちで焼けてしまった日吉大社の復興に尽力したという話です。

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↑こちらが神猿さん。西本宮にいらっしゃいます。


日吉大社には21社ものお社があるそうで、よく分からないままに、東本宮から西本宮へと歩いてみました。


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↑東本宮。この背後は山です。


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↑中七社。新物忌神社。天知迦流水姫神(アマチカルミズヒメ神)。


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↑井戸がありました。キレイな水です。


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↑涼しげな水音の聞こえる境内。ここは水の美しい場所なんだなぁって思う・・・。湧水は飲んでいいのかよく分からなかったので、二葉葵に水をかけてきました。が、後で調べてみたら飲めるようでした(^_^;)


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↑悪王子社と書かれた石碑。「悪王子って何?」と思って調べてみたら、悪王子とは、スサノウノミコトの荒魂で、「悪」というのは「強力」という意味だそうです。


東本宮を出て、歩いて行くと、途中、「三宮遥拝所」「牛尾宮遥拝所」と書かれたお社がありました。二つの宮の間には上の方へと続く階段のような坂道が・・・。遥拝所ということは、この上にメインの宮があるってことなんですが、さすがに早朝からブラついている身体では、ちょっと登る気力が出ずに、簡単に断念。

後ほど調べてみると、八王子山という378メートルの山を登ると、磐座の金厳岩、三宮、牛尾宮の社殿があるそうですが、これが結構きつい坂道なんだそうです。「登らなくてよかった~」と思う反面、「磐座があるなんて、行ってみたかった~」と複雑な心境。

たくさんのお社をみながら、西本宮に到着。先ほどの写真の神猿さんはここにいらっしゃいますよ。

西本宮を出ると、こんな石がありました。

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↑大威徳明王が宿る霊石。すぐ側を川が流れているので、周りは涼しく感じるのですが、なぜかこの石の周辺は、産毛がモヤモヤとするような、クモの糸がまとわりつくような、暖かいような感じがありました。


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↑牛頭天王(スサノウ)が宿る霊石。ここもモヤモヤした感じがありましたが、大威徳明王の石の方が分かりやすかったような気がします。


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↑三角形になった山王鳥居。


我々は、東本宮から入ってしまったので、順路が逆になってしまいました(-_-;) この鳥居の所が正面になりますので、ここから散策した方が順当な順路になると思います。

さて、一通り散策を終え、一路帰路へとつきました。はぁ~、くたびれた~

んで、恒例の「帰って来てからの旅のおさらい」をやってみると、何とまあ、とりこぼしの多かったことを発見し、超残念な思いに・・・(>_<)

日吉大社の摂社の唐崎神社(そういや道中に看板があったっけ)、日吉大社のすぐお隣にあった日吉東照宮、先ほども出た八王子山などなど、「行けてない所がこんなにあったんかい~( ̄▽ ̄;)」ってな感じですが、日帰りじゃ限界もあるし、予定していた三井寺にも行けなかったし、またリベンジかけるべしっ!フンガ~(il`・ω・´;)


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さて、おさらいとして、こんなラインを引いてみました。

さすがに歴史の宝庫な場所なだけあって、よく知っているところがライン上に並んできますね。まあ、一部超ローカルな場所が入ってますが・・・(^_^;)

大神神社から大己貴命を勧請したということで、日吉大社と大神神社が南北ラインで並んでいます。そして、そのライン上には、物部氏にゆかりの石上神社、大海人皇子(天武天皇)が身を隠し挙兵したという吉野、そして玉置神社が並んできます。ついでに大神神社を起点に東を見てみると、伊勢の斎宮、答志島、神島となっています。

瀬織津姫が祀られている佐久奈度神社の南には奈良の長谷寺、北には石山寺。瀬織津姫の別の姿といわれる十一面観音のいる長谷寺がこんな風に並んでくるとは、意図的にそうなっているのかどうかに興味をそそられる所ですね。

日吉大社の西側には比叡山がありますが、比叡山の南北ラインを見てみると、南に東大寺、北に福井県小浜市にある神宮寺となります。

東大寺といえば、二月堂でお水取りという行事が行われますが、東大寺のお水取りで使われる水は、小浜市の神宮寺から10日間かけて、東大寺の若狭井という井戸に届くとされています。神宮寺と東大寺の間には不思議な地下水路で繋がっているとの伝説もあるとか・・・。神宮寺から東大寺へ水を送る行事は「お水送り」と言われ、東大寺のお水取りに先がけて行われるのです。

そして、日吉大社から東へと目を向けてみると、これがまたとってもローカルですんませんって感ですが、徳川家康の一族の出身地、愛知県豊田市にある「松平郷」、不思議な十一面観音が秘仏となっている愛知県新城市の田峯観音、鬼の舞や湯ばやしといった神事で民俗学的にちょっとミステリアスだといわれるお祭り、“花祭り”で知られる愛知県東栄町にある槻神社(祭神・瀬織津姫)があるのです。

松平郷、田峯、槻神社はたまたまそんな風に並んだだけかなとも思えますが、日吉大社と日光東照宮は30度のラインで並んでしまいました。どうして30度のラインで並ぶのか?

徳川家康の呪術的ブレーンといわれる天海僧正は、明智光秀の一族と関係しているのではないかと噂のある人という視点で考えてみると、明智光秀の居城があった坂本にある日吉大社(比叡山)からのパワーを得るために、意図的にパワーラインを作ったのではないかと思えてきます。

30度のラインというのは、夏至の時の日出の角度(北東に約30度)、冬至の時の日没の角度(南西に約30度)ですが、そう、日吉大社と日光東照宮は、夏至の日出の位置に日光東照宮、冬至の日没の位置に日吉大社というレイラインの配置になり、
“一年で一番太陽のパワーの強い日出=活力”
“一年で一番太陽のパワーの弱い日没=再生の力”
というパワーラインが作られているってことになるんですね。

もうちょっと簡単に言うと、日吉大社から見ると夏至の日出が日光東照宮の方向で、日光東照宮から見ると冬至の日没が日吉大社からってことになります。どうよって感じですね

以前読んだ本には、富士山から北東に30度の位置に江戸城があって、江戸城から北極星の方向に日光東照宮があるって説明してありましたが、これだと若干方位がズレてくるし、そんなややこしいことをやらなくても、日吉大社から北東に30度のラインを引けば、モロ日光東照宮でした。

しかし、徳川家康という人は・・・。何を企んでいたのか・・・(^_^;)?

徳川家康といえば、ちょっと不思議な話を聞きました。

豊橋市と豊川市の隣接するあたりに権現山という丘があるのですが・・・。

この地域に伝わる伝説とやらに、「豊川の下流の三上という所に、浜松から徳川家康が攻めてきて、それを岡崎から来た松平元康が迎え撃った。戦いに負けた徳川家康は浜松に逃げ帰るが、一時立てこもった丘を現在、権現山という・・・。」こんな話があるのです。

松平元康とは、徳川家康が「家康」に改名する前の名前です。ってことは、この話だと本人同士が戦ったということになります。どーゆーこと

徳川家康は、どこかで人が入れ替わっているという説があるそうで、なんだか謎の多そうな人ですね。

ちなみに、今NHKで放送中の大河ドラマ「江」の旦那さんの徳川秀忠の生母は、西郷の方と呼ばれたそうですが、豊橋市石巻西郷あたりの出身だそうです。

さてさて、こんな感じの近江巡りでしたが、家に帰って来てからも、何だか身体が熱くて、石山寺の暑さがまだ続いているような感じでした。次の日の午前中まで、身体の火照りは続いておりましたが、この熱感は、百間滝に初めて行った時の熱さに似ているかな?といった感じで、ひょっとしたら石山寺の硅灰石にマジで岩盤浴のような効果があるのか?!それともあの場所一帯に何かあるのか?!なんて考えてしまふ。


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2011_10_14


台風が過ぎてから、めっきりと秋らしい気候になりました。夏の寝苦しさが嘘のように、お布団のぬくもりが気持ちいいですよね~♪

さてさて、先日、といってもまだまだ残暑の厳しい9月のとある日のことですが、久しぶりに遠出のドライブに出掛けてきました。日中はとても暑くて、ペットボトルのお茶を何本飲んだことかというような感じでしたが、天気も良く、気持ちのいいお出かけ日和でした

パワースポットニッポンに紹介されていた大津市の「石山寺と佐久奈度神社」と、数年前に行った時に立ち寄ることが出来なかった大津の坂本にある「日吉大社」がずっと気になっていて、今回行ってみようということになったのでした(*^_^*) 

まずは、石山寺に到着です。


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琵琶湖から流れ出る瀬田川沿いにある石山寺。石山寺縁起によると、聖武天皇の発願により、747年に良弁僧正(東大寺を開山した僧)を開基として開かれた寺院。本尊は如意輪観音で、安産、厄除け、縁結び、福徳などの霊験あらたかとして、古くから信仰を集めているということです。

国の天然記念物になっている硅灰石(けいかいせき)という巨大な岩盤の上に本堂が建ち、お寺の名前の由来はここから来ているそうです。

また、紫式部が新しい物語を創作するために、ここに7日間参籠(おこもり)した折に「源氏物語」の構想を得た場所としても知られていて、平安時代には、宮廷女人たちの間で「石山詣」として、石山寺の観音様への参拝が流行っていたということです。同じように、奈良県の長谷寺の観音様も「初瀬詣」といわれ、貴族の間で信仰されており、源氏物語、枕草子、更級日記、蜻蛉日記などにもその様子が描かれています。こちらの観音様は「十一面観音」です。


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↑本堂の脇にある紫式部のお姿。

如意輪観音というのは、「衆生の欲しい望みを叶えてくれる」観音様で、そのお姿は、座った姿勢で片膝を立て、片手は頬杖を突くような半跏思惟のポーズ。「皆の願いをどうやって叶えたらいいのか・・・」と思案しているお姿だとか。「どうしようか?ムムム」と悩む仏様というのが面白いですね。ご真言は「オン・バラダ・ハンドメイ・ウン」「オン ハンドマシンダマニ ジンバラ ウン」

車を降りて、境内へと歩いていきます。日傘をさしていても、暑くて暑くて、汗ダラダラです

案内図によると、本堂の奥に、八大竜王、龍穴ノ池、滝があると示されているので、まずはそこから。


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↑八大竜王と池。

そして、滝はどこかと探してみると、庭園の中に作られた滝でしたが、水はどこかから湧いているようでした。


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↑無優園という庭園内にある甘露の滝。

滝を見て、その後、本堂へと向かい、月見亭まで行ってみました。瀬田川の眺めがとても気持ちの良い場所です(写真忘れました)。


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↑月見亭の手前にあった若宮社。大友皇子(弘文天皇)が手厚く供養されています。大友皇子といえば、天智天皇の皇子で、壬申の乱で叔父である大海人皇子(天武天皇)と戦って負けてしまった方ですね。ここ大津はそんな歴史の舞台となった場所でもありますね。

さてさて、石山寺の境内はかなり広くて、まだまだ続いているようです。しかし、異常に暑くて、体力的にバテそうだったので、駐車場に戻ることに。本堂の前には、ゴツゴツとした岩の塊があり、これが天然記念物の硅灰石なんだそうですが、ひょっとしたらこの岩が岩盤浴効果のようになって暑くてたまらんかったのか?!なんて思っちゃいました

駐車場に戻り、クーラーバッグで凍らせてきたアクエリアスをがぶ飲み(*_*; はぁ~、一息ついた~、けど、お腹もすいたので、近くのお店でおソバを食べることに。

駐車場内にある「小松屋」さんで食べた梅おろしソバ、見た目も美しく(写真忘れた)、お出汁もさっぱりとして、おソバもシコシコですんごくうまかったですよ~(^◇^) 喉乾き&腹ペコの餓鬼状態が、おソバと梅干しで復活しましたよ~

時間もないことなので、次の場所「佐久奈度神社」へと向かうことに。

瀬田川沿いを走ること15分ほど(ちょっと道を間違えましたが)。忠臣蔵でお馴染の「大石蔵之助」の大石家ゆかりの大石という場所に、佐久奈度神社はあります。

瀬田川がカーブをする位置にある神社で、祓戸四神(瀬織津姫、速秋津姫、速佐須良姫、気吹戸主)が祀られている神社です。

佐久奈度神社は、天智天皇8年(669年)、天皇の勅願により、右大臣中臣金連を勅使として、この地に祓戸大神三柱(現在は四神)を祀ったのが始まり。祓戸四神は中臣大祓詞のみに登場する神で、大祓詞にある「佐久那太理」がこの神社の佐久奈度の名で、瀬田川が激しく湾曲して流れる様「裂けた谷=佐久那太理=桜谷」の地に祀られた祓いの神であるという。

特に天皇の厄災を祓い平安京を守護する「七瀬の祓所」のひとつに数えられ、平安時代より天下の祓い所としても知られる神社。伊勢に参拝に行く人々は、ここで禊をして出掛けていたという場所でもあります。


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↑神社の案内看板。形がカワイイです。


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↑こじんまりとしていますが、気持ちのいい境内です。


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↑佐久奈度の神を詠んだ石碑。


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↑神社を川の方へ降りていった川沿いの公園にある大きな銀杏の木。銀杏の木の向こう側が瀬田川です。この銀杏の木あたりが神社の旧社殿だったそうです。ダムができたために神社を今の地に移設したとのこと。


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↑公園内にある橘守社というお社。元は橋のたもとにあったようです。


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↑神社の際を流れる瀬田川。岩に当った流れが白いしぶきとなって、激しい流れを見せていますが、清らかさも感じる川です。

瀬織津姫はわが東三河でも、水神様として祀られたり、天白神として祀られたりしています。東北ではオシラサマとして祀られていて、実に様々に変化してお祀りされている神様です。

この様が、いわば封印された神であることを物語っているかと思いますが、その瀬織津姫の痕跡をたどりに色々な場所に出掛け、また、古事記、日本書紀に記されたものがすべてではないということを前提において、古代の謎を推理してみるのは、単なる観光だけではない楽しさがあります

瀬織津姫が正式に認められた形で姿を現すのが、中臣詞(大祓詞)に出てくる祓戸の神としてなのですが、その中臣詞が作られた場所というものを現場検証してみたくて、今回、佐久奈度神社を訪れてみたのです。

佐久奈度神社そのものは、巨大な規模の神社でもなく、歴史を誇示するような風でもなく、いたってよくある雰囲気の普通の神社でありました。おまけに、ダム建設によって社殿も移転しているので、特に、いにしえを偲ぶようなものは感じられませんでした。

しかし、実際にこの場所を訪れてみて、何が一番良かったか。

神社のすぐ際に流れている瀬田川です。この川そのものが、罪穢れを流して、穢れを根の底深く深くに運んでくれるという、祝詞の状況そのものだったと感じました。

石山寺方面から瀬田川沿いを車で走ってみると、穏やかに町の中を流れている風情の川は、突然、一変して急流となり、激しい一面を見せ始めます。

祝詞に込められた瀬織津姫たちの役割を身近に肌で感じたような気がしました。これこそは現場に行って、その場の空気を感じてみないと分からないことだなと思います。

と同時に、もう一つの仮説が思い浮かんでしまいました(^_^;)

瀬織津姫で知られる佐久奈度神社ですが、「佐久奈度、さくなど、サクナド、サ・ク・ナ・ド」と考えていたら、クナド神に関係する所でもあるのかな?と

クナド神は、塞の神(さいのかみ)とも呼ばれることがあり、塞の神は、異界の地とこの世を分けるという意味があることから、村はずれの境界線や分岐点に祀られるようになったようです。

イザナギが、亡くなった妻イザナミを黄泉の国へ訪ねて行ったが逃げ戻るという神話があります。その時に黄泉の国から追いかけてきた黄泉醜女(よもつしこめ)たちを「来な!(来るな)」と遮るために投げた杖からなったのがクナド神と言われ、醜い姿で追いかけてくるイザナミを最終的に離別する時に、黄泉の国とこの世の境に大石を置いて境目を塞ぎ、これが塞の神になったということなんですが、そう、ここ佐久奈度神社のある地名は、大石というのです。

そして、神社のある場所も川の際ということで、何らかの分岐点となる場所、川の向こう側とこちら側を分ける意味を持っていてもいいんじゃないかと思えるような状況になっているんですね。

追いやられてしまったといわれるアラハバキ神も、蝦夷の侵入を防ぐために置かれた塞の神であるという説があります。アラハバキ神と瀬織津姫も封印された神ということで、同一視する説もあることから、この佐久奈度神社にも、瀬織津姫だけではない神の謎がありそうな気配を感じてしまった次第です。

そして、ちょっと余談になりますが・・・。

佐久奈度神社を詠ったものではありませんが、瀬田川の流れを見ていたら、百人一首にあるこんな和歌を思い出してしまいました。

「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
われてもすゑに 逢はむとぞ思ふ 」  崇徳院 (崇徳上皇)

意味は、速い速い川の流れ、岩にぶつかり水の流れが二手に分かれても、その先でまた流れが一つに合わさるように、今生では別れてしまった二人だけど、来世ではきっと一緒になりたいと思う。という愛おしい人を思う歌ですが・・・。

崇徳上皇は、保元の乱で後白川天皇に敗れ、讃岐に流刑され、失意の日々の中、天皇家を呪い亡くなられたという、史上最大の祟り神ともいわれる方です。その方が詠んだこの和歌って、単なるロマンチックな恋愛の思いだけではない念がこもっていそうな雰囲気を感じるのは・・・、考えすぎかな(^_^;)?

さて、瀬田川の流れをもっとみていたい所でしたが、次の訪問地、坂本の日吉大社へと向かうことに。

大津の坂本といえば、明智光秀の居城があった場所。坂本の西教寺には明智家の方々のお墓があります。

日吉大社と徳川家康を結ぶパワーラインの地図を作ってみました。


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と、ここまで書きましたが、これ以上書くとブログがふんどしのように長くなってしまうので、続きはその2ということで(*^_^*)



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穂の国東三河~三遠南信地域を中心に、歴史や信仰、伝説の謎などの探求しています。そして時々エネルギー研鑽も♪

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