愛知県伊良湖岬と三重県鳥羽を結ぶ伊勢湾フェリー

1000円高速道路の影響などが響き、今年の秋で廃止とのニュースが流れていましたが、愛知県や三重県、田原市や鳥羽市の2県2市が、フェリー会社の経営再建への財政支援をすることで存続することが決定しました

「航路は観光振興や災害時の輸送機関としての機能など公益性が高い」という関係者からの必要性を強調する声があったそうですが、確かに、地震などの災害や非常事態が起きた時のためにも、海上ルートを確保しておくことは重要な危機管理でもありますね。

旅館や土産物屋などの観光に携わる人たちやフェリー会社の関係者さんたちにとっても、ヤレヤレといったところですが、伊勢神宮の遷宮も控えていますので、これからの観光PRに頑張ってくださいね~(^O^)

ちなみに、東三河地区の人たちでも「伊勢神宮は車で行くと遠い」と思っている人が多いように思います。また、フェリーでいくと近くて楽、便利ということを知っていても、料金が掛かるから・・・という人が多いようです。まずは地元の意識をフェリーに向けさせて、海で行く旅の楽しさをアピールすることも必要かもしれないですね。

私ら的には、古代から続く海の道が途絶えてしまうことは、とても遺憾なことだと(政治家かっ!?)、何とかフェリーが存続するようにと願っておりましたので、とにかく、とにかく良かった~~~です

さて、伊勢神宮の話が出ましたが、毎年伊勢神宮には、浜松市三ケ日町の初生衣神社(うぶぎぬじんじゃ)で織られた絹織物、神衣(おんぞ、かんみそ)が奉献されています。

神衣というのは、読んで字の如し、神の着る衣のことですね。前回のブログ、足助の話の中でも書きましたが、棚機津女という女性(巫女)が神の衣を織るということなのですが、「天棚機姫命(あめのたなばたひめのみこと)」が初生衣神社の祭神となっています。

初生衣神社の宮司さんは、神服部(かんはとり)さんと言われ、この神服部家が1155年以来、850年以上の長きにわたり、伊勢神宮内宮に、三河の赤引の絹糸(新城市大野地区)で織った神衣を奉献してきたそうです。

初生衣神社では、毎年4月の第二土曜日に「御衣祭(おんぞまつり)」というお祭りが行われます。

その祭りでは、織りあげられた神衣を、すぐ近くにある浜名惣社神明宮(元伊勢の伝承もある)にある天棚機媛社でお清めし、再び初生衣神社へと運び、神事を行い、その後、本坂峠経由で、豊橋市の湊町神明社まで運び、そして、5月に湊町神明社でも「おんぞ祭」を行い、5月15日、伊良湖岬から海路を使って(フェリーにて)、伊勢神宮に奉献される、そんな流れになっているそうです。

伊勢神宮に到着した神衣は、普段一般では入れない神宮司庁にて奉献が行われるそうです。毎年バス3台ほどで訪問しているようで、申し込みをすると、この行事に参加できるそうです。→ 初生衣神社

初生衣神社。

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機織りの小屋のようです。

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水辺の小屋の中で機を織り神を待つ少女・・・。初生衣神社のすぐお隣は川でした~。おお~、シチュエーションばっちりってか~!?

こじんまりとした神社ですが、竹林に囲まれた境内は、しっとりしていて、とてもいい雰囲気の場所です。

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そして、初生衣神社から、川を挟んだ向こう側にあるのが、浜名惣社です。元伊勢という伝承があるだけあって、境内地も広く、立派です。

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この社殿の背後の小高い場所に、本殿が祀られていて、その両側に対になるように「天棚機媛神社(あまのたなばたひめ)」と「天羽槌男神社(あまのはずちお)」の祠が祀られています。

小高い場所の本殿。

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この右側にあるのが「天棚機媛命社」

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拝殿の左側には「天羽槌男命社」

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境内内にある「神池(しんち)」といわれる池。

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この池の水源は、浜名惣社の神域の大輪山の中腹にあって、昭和初期までは清水が池を満たし、下手にある神田を潤して神饌米を豊かに実らせていたとのこと。祭礼の時には氏子たちが身を清めた神聖な場所となっていると、立て札に説明されていますが、山から流れ出る神聖な水・・・、山に降りた神が渓流の流れに乗って里に下りてくる、そして棚機津女の待つ所へとやってくる・・・、この話が浮かびますね~。

さて、天棚機媛とペアで祀られている「天羽槌男」とはどんな神様なのかを調べてみると、機織りや農耕に関する神様で、別名、倭文神(しづりしん)とか建葉槌命(たけはつちのみこと)ともいわれるようです。

そして、建葉槌命という名前から調べてみると、茨城県日立市にある大甕神社(おおみかじんじゃ)に建葉槌命が祭神として祀られていることが出てきます。

大甕神社・・・、ここには大和朝廷に最後まではむかった最凶悪の星の神“天津甕星(あまつみかぼし)”、別名“天香香背男(あまのかがせお)”が封じ込められている神社です。

大甕神社のいわれには、大和朝廷は、邪神や草木、石にいたるまで、すべてを平定(大和朝廷に従わせること)させてきたのだが、最強の武神と誉れの高い香取神「経津主命(ふつぬしのみこと)」や鹿島神「武甕槌命(たけみかづちのみこと)」を派遣しても、この地の天香香背男(天津甕星)を平定することができなかった。なので、新たに建葉槌命を遣わし、最強の悪神とされる天香香背男を封じ込めることができたと、そんな風に記されています。

んんん???、ちょっと待ってよ?

最強の武神でさえも封じ込めることができなかった天香香背男を、何で機織とか農耕の神といわれる建葉槌命がいとも簡単に封じ込めることができたの???メチャ疑問が湧いてきます。

じゃあ、このドッ強い建葉槌命って、その後、最強の武術の神様といわれているかと言ったら、そんなことはないようだし。

ここからは推測、仮説となりますが、元々その地で信仰されていた神様が天津甕星で、ところが、この神は大和朝廷には都合が悪く、記紀神話に登場してくる建葉槌命という神の名前に置きかえちゃったんじゃないのか?しかし、ただすり替えただけでは辻褄が合わないから、建葉槌命に天津甕星が平定されたという伝説を作っちゃったのではないか・・・、なんて思うのです。

そんなところから、建葉槌命と天津甕星というのは、実は同一の神ではないかと思うのです。

本来ならば、大和朝廷に楯ついた最凶、最悪の神、天津甕星に対抗出来うるのは、 先に平定に来た鹿島、香取の神という、最強の武神でなければ話がおかしいし、それが大甕神社の主祭神として祀られるのが一番おさまりがいいと思うのですが、出来なかった理由が何かあるんでしょうね。

大甕神社のすぐ近くにも、水の神様を祀る「泉神社」あります。おそらく(推測ですが)、大甕神社が男神・天津甕星で、泉神社が女神で水神というように、ペアで祀られているのではないかと思います。


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浜名惣社は、天羽槌男と天棚機媛がペアで祀られています。天羽槌男=天津甕星であるならば、このペアから連想すると、彦星と織姫の話にも繋がっていきます。そして、伊勢神宮の元の神といわれる、一対の「日の神」と「水の神」にも繋がるのではないでしょうか。

もう一つ。浜名惣社には、摂社として大田社がありますが、この大田命(おおたのみこと)というのは「大田田根子(おおたたねこ)」のことで、浜名県主(あがたぬし)が、この地に祖神である大田田根子命を祀ったことが元とのこと。浜名県主は美和氏の系統で、浜名惣社の鎮座地名を大輪山というのも、三輪山に関係があることからだそうです。

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崇神天皇の御代、国中に疫病が蔓延し、多くの民が命を失った。これを嘆いた天皇は、神の言葉を聞くための場所に籠ると、夢枕にオオモノヌシが現れて、疫病の流行は自分が起こしたものだと告げた。そして、大田田根子に自分を祀らさせれば、疫病は治まるいうお告げを聞いた。んで、天皇はさっそく大田田根子という人物を探すように命じると、この人物は、河内の国で見つかった。天皇の元に送られた大田田根子は、オオモノヌシを三輪山に祀って、国は疫病から逃れることができたと、古事記に書かれています。

また、古事記には、三輪山の神、オオモノヌシが蛇体を美しい男子の姿に変え、夜な夜なイクタマヨリ姫のもとを訪れていたという伝説が書かれています。天から降りてきた神が女性のもとを訪れるなんて、この話も棚機津女の話によく似ているじゃ~ん、なんて思ってしまいますね。

伊勢湾フェリー存続の話から、違う方向へ話がすっ飛びましたが、なにはともあれ、伊勢神宮参拝には、伊勢湾フェリーで行きましょうね~(^◇^)

と、強引にまとめて、今回はおしまい。

今日も長文を読んでいただきありがとうございました




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2010_08_24


いきなりですが(^_^;)、天白信仰というのがあります。

ウィキペディアによると、伊勢の土着の麻積(おみべ)氏の祖神・天白羽神(あめのしらはのかみ)を起源とする民間信仰で、星神、水神、安産など信仰の対象(神徳)は多岐にわたる。分布は長野県・静岡県を中心に、三重県南勢・志摩地方を南限、岩手県を北限として広がっていると説明されています。

伊勢の麻積氏というのは、天照大神の荒妙(あらたえ・麻の衣)を織る担当の氏族で、神麻積部(かんおみべ)とも呼ばれ、神宮に仕えていました。また、和妙(にぎたえ・絹の衣)の担当を、神服部(かんはとりべ)と呼び、東に移動した神服部が静岡県浜松市の初生衣神社(うぶぎぬじんじゃ)の神服部家で、ここからは三河産の絹糸(赤引きの糸)の織物を神宮へ奉献していたそうです。この神社の宮司さんの“神服部(かんはとり)さん”というお名前は、日本で唯一の名字だそうですよ。

そして、その他の説としては、天白信仰は陰陽道からきているものだという話があります。陰陽道では、金星のことを太白星(たいはくせい)といいます。金星は、明けの明星・宵の明星とかビーナスなどと呼ばれ、古来より親しまれている輝き美しき星。これが時として(周期や光の関係で)昼間に見えることがあるのです。ゼロ戦の名パイロットだった人も見えたそうですが、遠視の人だと見えるかも?らしいですよ。しかし、陰陽道では昼間に見える太白星(金星)は、凶星=悪い神として扱うということです。

この陰陽道の卜占を使っていたといわれるのが天武・持統天皇で、これで行幸の出発日などを決めていたといわれています。その持統天皇は702年12月、昼間に金星がみえたその一週間後に病が重くなったと続日本紀に記述があるそうです。陰陽道は天文学的、科学的学問であったと同時に、予知的な呪術的意味も持ちあわせた学問であったといえますが、ちょっと考えてみたいのが、なぜ持統天皇は昼間の太白星(金星)をここまで恐れなければならなかったか?(予知的呪術を重視したか)ということです。また、太白星は別名、天香香背男(あめのかがせお)とか天津甕星(あまつみかぼし)ともいわれ、ヤマト朝廷に反逆した悪い神として扱われていますが、ここでもなぜ禍いの神様扱いになってしまったのか?

まあ、簡単にいえば「恐れる=やましいことがある」ということなのですが、じゃあ、持統天皇の恐れとは何でしょう?それは、伊勢神宮の成立に関して、元々の神様を隠ぺいし、アマテラスを太陽神として置き変えてしまったことではないかと・・・。その隠ぺいされた神の祟りに怯え、凶星といわれる太白星と重ね合わせたのではないか。また、その元々の神をおとしめるため、太白星と重ねたとも考えられるかと思います。

その他の説が長くなりましたが(^_^;)、神の衣を織ることの由来は、伊勢神宮成立以前よりあった伝説からきているようです。それによると、神は天から山へ降りてきます。そして、山から渓流へと入り、滝や川を下って行きますが、その神をお迎えするのが、棚機津女(たなばたつめ)という少女です。川べりの機織小屋で神の衣を織りながら、神の訪れを待ち、神はその衣を着て一夜を過ごし、その少女は神の妻となる。妻の語源は「津女(つめ)」からきているようですよ。そして、神の妻となった棚機津女も神とされ、天から降りてきた神は日の男神、棚機津女は水の女神としてペアで祀られていました。これが、中国の七夕伝説と重なり、今の七夕祭りとして広く信仰されるようになったとさ

天白信仰というのは、伊勢の麻積氏の祖神の天白羽神(あめのしらはのかみ)の天白からとったのか、陰陽道の天に白く輝く星、太白星からきているのかは難しいところですが、三河地方では天白神=瀬織津姫として信仰されることが多く、東北地方ではオシラサマとして信仰されているようです。どちらも養蚕の意味を持っていますが、水の神の属性を持ち、なおかつ禊祓いの神としての性質を持つ瀬織津姫が、なぜ養蚕の神として扱われるかというのは、とっても面倒くさい過程を経ないとたどり着かないのですが、まあ、今のところの精一杯の説明はこんなところです(滝汗)。

さて、前置きが長くなりましたが、先日の休日、愛知県豊田市の足助町にブラリと行ってきました

何で行ったかというと、足助にある足助八幡宮が瀬織津姫を祀る天白社が合祀されているということ&夏のお出かけスポットとして行ってみました。

瀬織津姫がいるロケーションとして足助はバッチリ。巴川と足助川が流れていて、紅葉の名所ですが、桜の名所でもある。そして、川のほとりにある三州足助屋敷には、農家が再現されており、機織り、かいこ、桑があって、瀬織津姫をさらに演出するかのようで面白かったです。

足助神社。
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大きな草履。んむむ・・・、足の助けでアラハバキってことか・・・?
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オッサンくさい顔なのに、なんとも愛くるしさを感じる狛犬さん
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隠されてしまった瀬織津姫を探すパワースポット巡りとして、夏の川遊びとして、昔の農家の手仕事(紙漉き、藁細工、竹細工など)が体験できるスポットして、三河から信州へ物資を運んだ塩の道(伊那街道、三州街道、中馬街道)の散策スポットしても楽しめる場所ですよ。

川で遊んでいる人たち。気持ち良さそう~♪
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足助屋敷にあった機織り機。
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農家の庭先のチャボ。「昔はどこの家も縁の下に鶏を飼っとっただに~」といずみ母は言っておりました。
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営業部長のチビ太くん。農家の縁の下でお昼寝。チャボの小屋も縁の下にあります。
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桑の葉。
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ピザではありませんよ~(^_^;) 桑の葉を食べる蚕(かいこ)です。
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敷地内には、鍛冶屋や炭焼き小屋、牛小屋や井戸などもあって、なんとものどかな雰囲気。

8月31日まで、足助屋敷の入館料は300円です。おまけに営業部長犬・チビ太くんの写真入りウチワがもらえますよ。「ウチワが欲しいな~」と思っていた矢先にもらえたのでラッキーでした(*^_^*)

皆さんも、どうぞお出かけくださいな。
三州足助屋敷




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