B フレンズ

穂の国東三河を中心に、三遠南信の歴史と謎、エネルギーを探求しています。ブログタイトル改めました。

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  1. 整体
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野口晴哉アレコレ

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整体の元祖、カリスマといわれる野口晴哉を信奉する者は今でも多く、野口整体として活動されている方も数多くいらっしゃいます。

簡単に野口晴哉のことをご紹介します。

明治44年に東京に職人の子として生まれ、12歳で整体法を体得し、15歳で「自然健康保持会」を設立。その後、道場を開き門人を育てた。療術界で中心的役割を果たしながら、古今東西の治療法や自らの研究から、体癖論や整体操法をまとめあげた。昭和51年没。

最近、ある雑誌で、整体の元祖・野口晴哉に関する逸話が書かれた記事がありました。野口晴哉の奥さんは、終戦間際の総理大臣・近衛文麿の長女で、島津家に御嫁入りしていたのに、近衛家や島津家出入りの整体師だった野口晴哉の元へ走ってしまったという話や、その奥さんの母親がチフスで死亡と診断されたのに生き返ってしまって周りが大騒ぎだったという話や当時の貴族階級のぜいたくな話などが書いてあって面白かったです。

私たちは野口整体の門下生ではないので、野口整体、活元運動、愉気に関することは本で知識を得ることしかなく、また、駆け出しの頃に「野口晴哉って誰?」とT氏に言ったら、「野口晴哉のことも知らんのか?!」と言われたこともあったくらい(^_^;)、野口晴哉について深く掘り下げてみたことがありませんでした。

雑誌の記事に「関東大震災の時、野口晴哉は、煮豆屋のおばさんが下痢で苦しんでいるのを手を当てて治したことがきっかけで、その後、五十余年にわたり施術を続けてきた・・・」こんな話もありました。

「・・・関東大震災?・・・手当て?・・・12歳の少年整体師?・・・空白の4年間?・・・野口晴哉って何をやってきたの?何か修行でもしたの?」

「整体入門」「風邪の効用」という本はT氏に言われてから読んだのですが、「手技的整体の凄技の人・・・」という印象でした。

しかし、上記の言葉を頼りに探ってみると、整体とは単に身体をほぐしたり、矯正技をかけて身体を整えるだけのものではなく、エネルギー、気、潜在意識、催眠と密接に関わる総合的なものであるということが分かってきます。

ミルトン・エリクソンが、患者の潜在意識にポンと入り込むような、意表を突くような言葉を投げかけたのと同じようなことを、野口晴哉もやっていたそうです。

現代では、整体の手技、身体均整法、リフレ、カイロ、オステ、ヒプノのような催眠療法、レイキ、クォンタムタッチ、各種手かざし療法、エネルギー療法などが、一個一個独立した療法になってしまっていますが、野口晴哉の整体の中にはこれらの要素がすべて含まれているんですね。バラバラになっていたものが繋がったといった感じです。

また、関東大震災のあった大正時代を見てみると、霊術家といわれる人たちも盛んに活動をしていました。松本道別、田中守平、桑田欣児、出口王仁三郎、臼井甕男などなど、こんな名前が出てきます。

野口晴哉は、修行時代に松本道別や桑田欣児と交流があったようで、御嶽山で修業をしていたともいわれています。松本道別からは輸気を、桑田欣児からは発動法を習い、これが野口整体の愉気、活元運動の元になっているという説もあるようです。

野口晴哉の愉気は、患部に手を当てて気を通すことで自分の中にある治す力に作用するというものなのですが、熟練者になると、悪い所に自然と手が行くようになるということです。

んんん?レイキでも熟練した使い手になると、悪い所にスッと手が行くと教えられますね。

松本道別と袂を別かった田中守平は、大正時代に一斉風靡した霊術家で、岐阜県恵那市の出身です。レイキの臼井さんも岐阜出身なので、何らかの繋がりがあったのかしら?と推理したくなるところです。

昭和2年に書かれた松本道別の本から垣間見えることは、この当時の人たちも、あっちこっちの道場に顔を出し交流しつつ、会を渡り歩いたり、自分の一派を立ち上げたり、内部分裂を起こしたり、他派を批判したり・・・、なぁんてことをやっていたみたいです。

古今東西、人間のやることは時代が変わっても一緒なのね~、行者だね~(^_^;)、なんて松本道別の本を読んで思うのでした。

私たちが施術のメインで使っているTMC超気功、そしてレイキや一霊四魂の考え方が、野口晴哉や松本道別の探索がきっかけで、くっついてきた・・・、そんな気分で嬉しいです。整体の世界から広がる世界は深いです。

シュタイナーの本は読んでいると猛烈な睡魔に襲われるけど(いいこと書いてあるんですけどね)、昭和初期の言語で書かれた松本道別の本は、不思議と面白くて読めてしまふ。



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テーマ : 癒し・ヒーリング    ジャンル : 心と身体

  1. 菟足神社
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イサクの祭りと菟足神社(うたりじんじゃ)の風まつり

桜、満開 春ですね~ 各地もお花見で賑わっているようですね(^^)

今週4月10日(土)、11日(日)は愛知県小坂井町にある菟足神社の風まつりです。桜の花は今度の土日までは持たないかな~?といったところですが、この菟足神社は、以前「いけにえ伝説」というタイトルでご紹介したことがある神社です。


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さて、この「いけにえ」ですが、菟足神社の他に諏訪大社でも行われていたということです。

諏訪大社というと、七年に一度の「御柱祭」が有名ですが、諏訪大社上社では毎年4月15日に「御頭祭」という祭事が行われています。

この御頭祭、五穀豊穣を願って、いけにえとして様々な作物や動物が供えられ、大地の恵みに感謝をするといったお祭りですが、江戸時代までは鹿の生首75頭や鯉、ウサギ、イノシシの内臓の和え物などがお供えとして捧げられ、また、御贄柱(おにえはしら)という柱に8歳くらいの少年をくくりつけ、竹のむしろに置き、小刀を振り落とそうとすると、使者が来てそれを止めるといったことも神事として行われていたとのこと。お供え物の中に鹿の頭があることから「御頭祭」と呼ばれ、お供えされた鹿の中には、必ず片耳の裂けた鹿が一頭いて、七不思議の一つになっているようです。

今では、鹿の頭のはく製三頭(耳の裂けた鹿もいる)と生きたままの雉(後で放たれる)などがお供えされているそうです。

また、鹿の頭や鳥獣魚類といった特殊な神饌をお供えすることから、狩猟に関係したお祭りとも言われているようですが、御頭祭の内容をひも解いてみると、ユダヤに伝わる「イサクのお祭り」に通じるものがあるみたいですよ。

イサクというのは、イスラエル民族の「信仰の父」と呼ばれるアブラハムの一人息子の名前。アブラハムはある日、「一人息子のイサクを連れて、モリヤの地へ行くように。そして、その地でイサクを全焼のいけにえとして捧げよ」と神からの命令を受けてしまったので「なんで、そんなことを・・・」と苦悶しつつも、神の命令通りにモリヤの地へ旅立つことにしました。

モリヤの地に着くと、アブラハムは息子のイサクを縛り、焚き木の上に乗せ、イサクの命を神に捧げるためにナイフを振り上げたんですが、同時に天使が現れ、アブラハムの手を止めて「その手を、その子に下してはいけない。今、あなたが神を畏れることがよく分かった。自分のたった一人の子供さえ惜しまないで私に捧げた」といって、アブラハムの人生を祝福しました。

すると、藪に角を引っ掛けている一頭の雄羊が見えたので、アブラハムはその雄羊を自分の子供の代わりに全焼のいけにえとして神に捧げました・・・、といった話が旧約聖書に「イサク奉献」の話として載っているそうです。

さて、もうお分かりですよね諏訪の御頭祭で代表的な「少年を柱に縛り付けて小刀を振り落とす」「片耳の裂けた鹿のいけにえを捧げる」といった内容が、このイサクの話によく似ているんですね。たぶん、藪に角を引っ掛けた雄羊が耳の裂けた鹿なのだろうってことです。

諏訪大社の前宮の背後にあるモリヤ山が御神体で、モリヤ山に降臨する神「モリヤの神」を古来より信仰してきたのだろうということです。そして、現在78代目だという守谷家という家が代々祭主となって御頭祭を行ってきたそうです。守谷資料館では、こういった鹿のはく製やウサギ、少年をくくりつけた柱などを見ることができるようですよ。

イサクと諏訪の類似点については、細かく言い出したらまだまだたくさんありますが、大まかに言うとこんなところです。

さてさて、同じようないけにえのお祭りが小坂井町の風まつりです。このお祭り、田舎のお祭りにしては結構盛大かつ厳粛なんですね。菟足神社のある小坂井地区を中心に、篠束地区、新町地区、平井地区といった地域が一緒になって行うお祭りです。平井の浜に上陸されたという神様を菟足神社までお連れする神事があるのですが、この鉾様(ほこさま)と呼ばれる神様は、竿のような長い高いもので、これをたった二本の紐で引っ張りながら地面を引きずりながら(持ち上げてはいけない)お連れするのです。倒してしまったら、振り出しに戻るっていう、結構キツイ大変な神事もあるのです。とりあえず失敗したことはないみたいですが・・・(^_^;)

かつては人身御供が行われていたという伝説もあり、赴任していた国司(大江定基)がいけにえに嫌気がさしたなんて話もありますが、現在は祭礼の朝に打った雀を奉納しているそうです。

諏訪のいけにえと菟足神社のいけにえ、これには菟足神社に伝わる徐福伝説に関連があるのかもしれないとも思うのです。

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全国には、徐福一行の渡来の地といわれている場所が二十数か所もあるそうですが、渥美半島に上陸したとしてもおかしくはないわけです。そして、渥美半島から人々は、豊橋、小坂井、豊川、新城~奥三河経由で飯田、諏訪へと、内陸へ移動していったということは、三河、遠州、南信州の文化や言葉を見れば簡単に予測がつくと思います。この三地域は古代より往来があり、何らかの共通の文化が伝わっていた地域だと思うのです。現在でも言葉や風習が似通っている部分が多いですね。おまけに、徐福が目指していた蓬莱の国と符合するかのように奥三河には鳳来寺山があります。

また、菟足神社の言い伝えには「熊野に渡来した徐福一行は、この地方に移り住み、その子孫が秦氏を名乗っている」「秦氏の先祖は、中国から熊野に渡来し、熊野からこの地方に来た」というものがあり、徐福伝説と秦氏の関わりも興味深いところですね。確かに、羽田、波多野といった名前や機織りに関連した神社はこの地域に多いですね(犬頭神社、服織神社、わくぐり神社など)。

我が整体院から数分の中学校は羽田中学校だし、羽田八幡宮もあるし、ドグオ氏の母方は羽田野さんだし・・・。身近にも多いな~。

秦氏の故郷は中央アジアの「弓月」(現在のカザフスタン)という国だったという話もあります。そこから日本へ移動してきたのだとしたら、シルクロード経由で伝わってきた情報や技術、生活様式なども一緒に持ち込まれたことでしょう。すでにキリスト教やユダヤ教などの宗教なども伝わっていたかもしれません。それらが秦氏の来日と一緒に伝わってきたとしたら、その中にはいけにえの習慣もあったのかもしれませんね。

また、日本人とユダヤ人は元は同じだという説もあって、何やら話はややこしくなりそうですが、何気に行われているお祭りの風習の中からこんなことが見えてくるなんて、面白いですね~。逆に古くから伝わる習慣や伝統、伝説の中に古代の歴史を紐解くヒントが隠されているんでしょうね。この紐解きがメチャ難しいけど、楽しくもあるなんて思います。

コブメロんチのお寺は結構古いのですが、過去に大水で何度も流されているとのことで、過去帳などの資料になりそうなものが全く残っていないんですと。んむむ~、残念

風まつりの花火はメチャ面白いです。土曜日の7時から仕掛け花火もあり、神社境内では手筒花火も奉納されます。仕掛け花火は、間近でみると心臓が抜けそうな大爆音で、火の粉も降ってくるといったド迫力がたまらんっす

お近くの方はぜひ見物にどうぞです。今週の土曜日です。

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社殿の中にはウサギさんもいらっしゃいます





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2017.9.19ブログタイトルを改めました。

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