3ヶ月ほど前のことです。

当院に時々お見えになる方が施術中にいきなり、「あることを検索していたら、おたくのブログにヒットしちゃったんですよね~」とおっしゃいました。突然こんな話を切り出されたドグオ氏は、「ええーっ、ウチのブログですか?!」と一瞬焦りながらも、「何を検索していたんですか?」と尋ねてみました。

この方は風林火山でおなじみの軍師“山本勘助”と古代の製鉄をする民などに興味があり、それらについて調べていたら、アラハバキというキーワードが導き出され、そこから当ブログの「アラハバキ」にたどり着いたということでした。

この方とは、今までこのようなブログ話などは一切したことがなかったので、突然こんなことを言われてドグオ氏は正直うろたえちゃいました^^;

私たちがブログでアラハバキを扱った理由は、持統天皇が東三河に滞在した“三河行幸”という歴史的事実の謎を探っていたら、なぜかアラハバキを祀る神社に行き着いてしまったことからでした。大和朝廷の王権が、確立したのが持統天皇からで、時同じくして伊勢神宮も確立したようです。大和王権とそれ以前の神(出雲系、さらにそれ以前の神)との勢力争いなのかな?といった謎から調べていたわけです。

こんな話をしていると、この方は「竜の柩/高橋克彦著」という小説があると教えてくれました。私たちはこの本を読んだことがなかったので、早速読んでみました。内容は、アラハバキやら日本国内の古代ピラミッドや古代文明の話やら、シュメール文明やらモヘンジョダロ、カッパドキアなどなど、超古代文明がてんこ盛りの面白い小説でした。最後はUFO話になっちゃいましたが・・・^^;

そして、この「竜の柩」を勧めてくれた方は、武田家の謎の軍師とされる山本勘助の本当の姿は、一体なんだったのだろうかという点を探られていたようです。ちなみに山本勘助はこの豊川、豊橋が出身地と言われていて、お墓も残っているようですが、実在は不明でもあるのです。

この方の仮説によると、山本勘助は実は戦争の軍師ではなく、製鉄に関係する技術集団のリーダーで、鉱脈を探し出すために各地を転々とし、武田家のために働いていたのではないかということでした。

また、古代文明の謎を紐解いていくと、製鉄を扱う集団には一つ目小僧の伝説もあるようです。山本勘助も片目だったといわれています。そして、山本勘助はドラマや小説の中では、諏訪の姫様との関係が深く描かれています。

なぜ諏訪とこれほどまでに勘助が係わり合いがあるのかを探っていくと、古代の出雲から諏訪へ製鉄の技術集団が移動した、逃げた痕跡が見えてくるのです。タケミナカタ神が、出雲を追われて諏訪に落ち延び、諏訪大社の神様として祀られているという伝承に行き着くのです。このエピソードは、古事記や日本書紀には「国譲り」の話として書かれています。

古代の出雲は砂鉄の良質な産地であり、鉄を作るタタラ製鉄という技術がありました。その技術を持った集団が、東へ移動する拠点のひとつが諏訪でもあったようです。製鉄に携わる人たち、いわゆる鍛冶職人などは製鉄時の高熱により、目を患い片目になる人たちが多かったようです。山の中にこういった集団が生活しているのを見て、恐れた人々が一つ目小僧伝説を作り上げたようです。この話は、柳田国男などの民俗学などにおいても記述されています。

また、一つ目小僧を表すのが山本勘助で、武田家に滅ぼされた諏訪氏でありながら武田家を継いだ勝頼を生んだ姫様を、諏訪の象徴として見ることもできます。こういったことから勘助は、製鉄を伝えたり、製鉄に関係する鉱脈を探す役目であったのかもしれません。武田家は金鉱脈を山梨県に持っていたそうです。こういったことにも山本勘助は関係するのではないでしょうか。

山本勘助の生誕地といわれる豊川市には諏訪町という地名があり、この諏訪町のすぐ近くには山本勘助の墓もあります。

「竜の柩」の中には、日本の古代文明を追いかけていくと、「竜」「竜神」などの痕跡が残っていると書かれています。ヤマタノオロチ伝説の出雲、竜神伝説の残る諏訪大社などが出てきます。ローカルネタになりますが、豊橋市には“蛇穴”と呼ばれる洞窟があり、この穴は諏訪湖に繋がっているとの伝説があるようです。

涼しくなって来た今日この頃、秋の夜長の読書に「竜の柩」はいかがでしょうか。オカルトチックな超古代文明探求小説にドップリ浸かってみてはどうですか?

面白い話を教えてくれた近所のKさん、ありがとうございました。


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「竜の柩」は遮光器土偶をご神体とするアラハバキの神を探すところから話は始まるのです。


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2008_09_30


皆さんの地域では、先日の豪雨は大丈夫だったでしょうか?豊橋市でも川があふれたりして、避難勧告が出た地域がありました。道路の冠水も各地でおき、交通や鉄道も混乱していました。岡崎市では川があふれ、街中が大洪水となってしまいましたね。被害にあわれた方々にはお見舞い申し上げます。

そんなこんなで、記事のアップが遅くなってしまいましたが、私たちは、お盆休みに海のパワースポット、「神島」に行ってきました。伊良湖岬から船で15分ほどにある小さな島ですが、三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台になった島でもあります。この話は何度か映画化されているので、30代以上の方ならたぶんご存知ではないかと思います^^; 伊良湖岬から船で15分ほどにある神島ですが、行政区分は三重県鳥羽市になっています。そんなところからか、私たちには、何となく愛知県からは近くて遠い島といった印象でもある島ですね。実際に、神島のことを具体的に知ったのは、大人になってからだったような気がします。

さて、タイトルにも書きましたが、伊勢からみると伊良湖岬は、日の昇る方角になります。その伊勢と伊良湖岬のライン上に神島があり、この島では「ゲーター祭」という日輪に関わるお祭りが有名です。伊勢は古来より、太陽崇拝が盛んであった地であることから、このラインは古来からの海上を繋がるパワースポットして信仰されていたんじゃかと思います。

以前のブログ「日出の石門(ひいのせきもん)~伊良湖岬そして過去世」でも書きましたが、奈良県の檜原神社~三重県の斎宮跡~伊良湖岬の沖にある神島はぴったり東西ラインで並びます。この東西ラインは春分・秋分時の日の出・日没ラインでもあり、このライン上に多数の古代遺跡も並んでいるようです。

また、伊勢最大の霊場といわれる朝熊山は、伊勢神宮の真東に位置する山ですが、この山からの夏至の日の出の方向は、伊良湖岬になるのです。

こういった情報から、一度神島へ行ってみたいな~と思っていたのですが、冬場は船の便も少なくなることなどがあって、なかなか行くタイミングが計れずにいたのですが、今回やっと行くことができました。

当日は、ピカピカの天気!伊良湖岬のフェリー乗り場から、昼頃の便で神島に渡りました。鳥羽や知多半島の師崎行きの船はフェリーなのですが、神島行きの船はクルーザーのような小さな船です。主な乗客は、里帰りの人や釣り人でした。

さて、神島に到着。あまり下調べもせずに来てしまったので、頼りになるのは切符売り場でもらった地図です。まずは神社に行ってみようということで、出発しました。

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島の周囲は4キロほどだそうです。小さな路地ばかりの道で、急な坂道に、軒を連ねて家がびっしりと建っています。漁港から島中にド演歌が流れ、磯の香りや昭和の香りも漂っている、そんな民家の間の細い路地を抜けて、神社へと坂道や階段を上っていくのですが、その坂や階段のきついこと、きついこと(>_<) 息も絶え絶え、汗びっしょりになりながら、なんとか神社に到着しました。上から見る海の景色はすっごく綺麗でしたが、身体はすでにバテバテです。

神社の名前は「八代神社」主祭神は「ワダツミノミコト」です。小さな神社ですが、伊勢神宮と同じ様式でお祀りされている、小さな島にしては立派な神社でした。

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セミがジャンジャン鳴り響く木陰で少し休んで、次に灯台方面へ出発。

これって道なの?と思えるような、細い坂道や階段を上がり、またまた息も絶え絶え、ヘロヘロになりながら、なんとか灯台に到着~(*_*) 「灯台には猫ちゃんがたくさんいるわよ」と教えてくれた人がいましたが、この暑さの中では、猫の子一匹も見かけませんでした。ふぅ~。

でもでも、きつい坂道を登ってきただけあって、ここからの景色は最高です。

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天気もいいこともあって、伊良湖岬や知多半島までが見渡せます。気持ちいい~~~~♪

次に向かったのは、旧陸軍が、伊良湖岬の砲台から発射した砲弾の着弾点を監視するのに使っていた施設跡です。この跡地を使って、潮騒のロケも行われたそうです。

またまた、大ハードな坂道を登っていたのですが、とうとうドグオ氏の膝がぶっ壊れました。膝が痛くなっちゃいましたよ(>_<) この時に、鳥羽から来た親子とすれ違ったのですが、この人から「ここは島の人でも滅多に来ないところだけど、行く価値はあるよ」と声をかけてもらい、それに励まされるようにか?ドグオ氏はロボットのようなぎこちない足取りで坂道を歩いていました。

これがドグオ氏膝が痛いの図。自分でエネルギーを流して何とかしようとしている様子。無駄?

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なんとか、この「監的哨」までたどり着き、この建物の屋上に上ると・・・、ほぉぉぉ~~~、さすがにぐんぐん坂道を登ってきただけあって、灯台よりも更に絶景です。先ほどの人が言っていただけの価値のある景色です。

IMGP0201.jpg

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気持ちのいい風が吹き渡り、海の碧さと空の碧さが溶けてしまいそうな・・・、そんな風景でした。でも、このツタみたいな葉の雰囲気が、ちょっと南方の島みたいでもありますね~。ここは伊良湖岬方面、鳥羽方面(伊勢方面)が一気に見渡せる場所で、鳥羽沖にある登志島も見えます。ちょうど伊勢―伊良湖パワーライン上にいるかのような気分になります。伊勢神宮と伊良湖岬は40キロくらいしか離れていなくて、ここは古くは重要な海上交通ルートだったんですよね。現代だったら、橋を架けるとか出来ないのかな~?

ここを後に、島をぐるりと巡りながら、漁港まで帰ろうとしたのですが、その途中途中の道が、「何じゃこの獣道は?」と思われるような道だったりして、モ吉は「帰りの船に間に合わなくなったらどうしよう~」なんていいながら、膝の痛みをこらえながら歩いていました。

そして、やっと、漁港にある船乗り場までたどり着きました。はぁ~、やれやれです。でも、島には喫茶店みたいなお茶をするような店が見当たらないので、船乗り場で水分補給をしながら一休み。ドグオ氏の膝痛は平地にきたら治まりました。

船においてかれることなく、夕方の船で伊良湖岬まで無事帰還。

さすがに私も疲れたな~と思っていたら、次の日、寝返りを打つと体中に激痛が走るほどの筋肉痛で、ビックリして目を覚ましました(@_@;) もっと朝寝をしていたかったのですが、痛くて痛くて寝てられなかったっス・・・(T_T) この激筋肉痛は3日ほど続きました。ホゲホゲ~~~( ̄▽ ̄;)

神島の思わぬハードな道のりに、パワーライン巡りだなんてことは、頭からスッカリ抜け落ちていました。自分の体を維持するのに必死でしたね・・・(;一_一) 少し前、荒行の本を読んだ時に、自分には荒行はできないな~なんて考えていましたが、この神島巡りが荒行みたいになってしまったような気分です・・・。ま、何にせよ、出かけてその土地の気に触れたということは、何か情報交換がされたのではないかということで、今後を観察してみましょ☆ 

日本の秘境100選に選ばれているだけあって、なかなかサバイバル?な雰囲気の島でした。車が走れる道は1本だけみたいで、信号もないです。民宿は数軒あるので、美味しい魚料理を食べることができるんじゃないかな?機会があったら、行ってみてくださいね(*´∀`)ノ

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穂の国東三河~三遠南信地域を中心に、歴史や信仰、伝説の謎などの探求しています。そして時々エネルギー研鑽も♪

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