B フレンズ

穂の国東三河を中心に、三遠南信の歴史と謎、エネルギーを探求しています。ブログタイトル改めました。

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神仏のリレーション その2

2011年、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。


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さて、今回は、先日のブログ「北緯34度47分、神仏のリレーション その1」の続きです。

前回は北緯34度47分の東西の直線ライン上にある神社などをご紹介しました。今回は、範囲を広げて、穂の国、そして、愛知一円でみていきたいと思います。

まず、砥鹿神社里宮を中心した「穂の国」をみていきましょう。

なぜ砥鹿神社里宮が中心になったかというと、前回ご紹介した浪ノ上稲荷は、本宮山と石巻山を遥拝する場所だったということで、そこから本宮山に向けて、直線を引いてみたところ、砥鹿神社の里宮を通ることが分かりました。

砥鹿神社里宮と本宮山の距離、砥鹿神社里宮と浪ノ上稲荷の距離を見ると、ほぼ等しいことから、本宮山と浪ノ上稲荷を結んだ真ん中に砥鹿神社が来るということなのです。

そして、これらは南北で直線に並びます。

次に、砥鹿神社里宮を中心として、東西の直線ラインを引きます。そして、本宮山から斜め30度のラインを引きます。東西ラインと本宮山からの斜め30度ラインの交差する位置をみてみると、南西方向の30度ラインには宮路山があり、このラインを二分した位置には、観音山、財賀寺があります。

東南方向の30度ラインには、金山という山、そして、このラインを二分した位置には、摩訶戸神社(まかごじんじゃ)・摩訶戸古墳があります。

宮路山と金山は、東西の直線ラインになりますが、このライン上には照山があります。照山は、砥鹿神社里宮から真東の位置になります。

以上をまとめると、砥鹿神社里宮を中心にした、東西南北の位置に、本宮山~宮路山~金山~浪ノ上があり、これらが砥鹿神社里宮を中心にダイヤモンドを形成するということです。

そして、石巻山と御津山という重要な山があるのですが、この山は、このダイヤモンドのラインからはちょっと外れているのです。でも、そこには何か規則性があるんじゃないかと思い、石巻山、御津山、本宮山を結んでみると、正三角形が出来上がるのです。

で、この正三角形の石巻山~本宮山を結ぶ一辺上に、照山があって、照山と御津山を結んでみると、正三角形をちょうど二分し、直角三角形が二つ出来上がります。照山は、石巻山~本宮山を結ぶ一辺を、ちょうど二分する位置にあるということになります。

図で示すとこんな感じです。本宮山が北です。

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図を見ていただくと分かりますが、このような綺麗なダイヤモンドが出来上がります。そして、これらのライン上には、神社や遺跡などが配されているのです。

ちなみに、斜め30度のラインがなぜ重要かというと、これは、冬至夏至の日出日没の角度で(厳密には緯度によって若干違ってきますが)、たとえば、本宮山から宮路山の方向が冬至の日没で、逆に、宮路山から本宮山の方向が夏至の日出になるといった具合です。ダイヤモンドのライン上に、石巻神社がありますが、石巻神社から冬至の日没のライン上に、我が整体院があります。ってことは、整体院からみて、石巻神社は夏至の日出の方角ってことになりますね。ややこしいかな~ ^_^;

神社や遺跡は、山や太陽の位置をみて作ることができますが、山というのは、自然にそこにあるものなので、この位置関係で山が並んでいるというのは、ちょっと不思議な気がします。人工的(ピラミッド?)に作ったとかいう説もありますが・・・

そして、砥鹿神社里宮から北西方向(図では左斜め上)に、犬頭神社があります。ここは機織りに関係する神社です。この犬頭神社から南に直線を引いてみると、このライン上に瓜郷遺跡、下地の水神社(豊田佐吉がお参りしていた神社)、羽田八幡宮、そして、我が整体院が並ぶのです。面白いことに、整体院のすぐ北側に、かつて「子供を産むならここの産院」と言われたくらいに流行った産婦人科がありました(今は先生が亡くなられたので廃院となりました)。この図をみてみると、産院の真北に犬頭神社があることから、「犬=安産」のエネルギーの流れがあって、この産院が賑わっていたのかもしれないな、なんて勝手な憶測をしてしまいました。ちなみにモ吉も戌年です。ワン

さて、今度はもうちょっと範囲を広げて、愛知県一円でみてみましょう。

sankaku_aiti002.jpg


今までは、本宮山、石巻山を見てみましたが、今度は、三河の三霊山と言われる鳳来寺山を軸にみてみたいと思います。

図にすると上記のような感じになります。

鳳来寺山の真東には、秋葉信仰の聖地である秋葉山があります。そして、鳳来寺山から冬至の日没の方向に、本宮山と羽豆神社があります。

さらに、夏至の日没の方向に(北西に30度のライン)、猿投神社、小牧山があります。猿投神社から、南北のラインを引き、そして、鳳来寺山~秋葉山の東西ラインの交わる地点に、岡崎の大樹寺があります。

ここに着目してみると、何が見えてくるのかというと、徳川家康のパワーラインが見え隠れしているように思います

鳳来寺山の縁起話の中に、家康の母、於大の方が、子授け祈願に霊験あらたかな鳳来寺山を参拝したところ、家康が生まれたという話があります。

その鳳来寺山と大樹寺は東西ぴったりのラインで並んでいて、しかも、岡崎城は、大樹寺の真南に作られています。ここから窺えることは、家康は、秋葉山から始まる修験道のパワーを鳳来寺山経由で、受け取って使っているんではないか・・・?ということです。

もっと面白いことに、鳳来寺山から夏至の日没になる小牧山も、豊臣秀吉と徳川家康が戦い(小牧長久手の戦い)で、家康は勝利し、ここでの戦が後の天下取りへの大きな布石になっています。ここでもパワー使ったかな(^_^;)?

先ほどの「穂の国ダイヤモンド」もこの本宮山経由で鳳来寺山のパワーを受け取って、穂の国へネットワークさせていると思えてきて、ひょっとして、このパワーの流れには、天下を統一するほどの大きな力が秘められているんじゃないかと・・・( ̄▽ ̄;)

ちなみに、徳川家康は、修験道の力をよく知っていて、これを使ったり、逆に恐れたりして、江戸時代に入ってから、修験者に対して規制弾圧を加えたようです

さて、現代において面白いことに、このパワーを密かに使っているんじゃないかと思われる企業があります。それはT社ですが、このラインにある猿投神社に行くと、T社およびT社関連企業が奉納した左鎌を多数みることができます。

参考までに、猿投神社の左鎌というのは、猿投神社のご祭神が、日本武尊の双子の兄弟の兄の大碓命(おおうすのみこと)で、この方が左利きだったということから、左鎌が奉納されているということです。

徳川家が300年近くも続いたことやT社の繁栄などをみると、東三河の聖地のパワーって凄いのかもしれない・・・、なんて我田引水的に考えたくなってきてしまいます

一度皆さんも、訪れてみてはいかがでしょうか。でも、雰囲気的には、ちょいとそっけない感じですので、あしからず・・・(^_^;)


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↑鳳来寺山。


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↑豊川市千両の犬頭神社。かつては繊維関係の方が大勢お参りに来ていたと、近所のおばあさんが話していました。


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↑秋葉山。金ピカの鳥居が眩しい~ 遠州灘が絶景です!


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↑岡崎市、大樹寺。男が山門の前に立ちはだかっていてすんません 岡崎城は、大樹寺の真南に位置し、この山門の真ん中に岡崎城を眺めることができます。そういう風に作ったそうですよ。


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↑猿投神社の左鎌。


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↑左鎌が奉納されています。T社系企業の名前がドッサリみえる・・・






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北緯34度47分、神仏のリレーション その1

いきなり北緯34度47分って書かれても、「何ですか、それ?」って感じですよね(^_^;)

北緯(南緯)、東経(西経)というのは、地図や地球儀で見かける縦横のグリッドラインで、地球上の位置を表すのに使いますよね。GPSでお馴染かとも思いますが、地図には、緯度が横線、経度が縦線で書かれていますね。北半球は北緯東経、南半球は南緯西経となっています。

で、この緯度・経度が同じ数値のところを辿っていくと、南北、東西を直線で追っかけて行くことができるのです。緯度の数値が同じところを繋いでいくと、東西の直線ラインに、そして、経度の数値が同じところを繋いでいくと、南北の直線ラインが出来上がります。ちょっと、ややこしいかな?

さて、東西の直線ラインというと、そうです、春分、秋分の“日の出・日没ライン”が出来上がるってことなのです

では、またまた、超ローカルネタになりますが、北緯34度47分には、豊橋市日色野町(しきのちょう)の菱木埜天神社という神社があります。

菱木埜天神社のお隣には、神泉寺、その隣には熊埜神社というように、お寺を中心にして左右に神社が配置されるという形になっています。

地域でお祀りされている小さな神社なのですが、ここには徐福伝説や元伊勢、何らかの宮があった場所ではないかとの伝承が残る、ちょっと謎めいた神社でもあるのです。いけにえ伝説の残る小坂井町の菟足神社とも関係があります。

そして、実際に訪れてみると、こういったよく分からない物が置いてある(祀ってある)のです。


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丸い木を真ん中から真っ二つに割って、そこに12本の線が描いてあるのです。これが二本(対)にして、注連縄でくくられて祀ってあるのです。

私たちは、全く初めてお目にかかるもので(隣の地域に住んでいた私も全く知らない)、「一体これは何?」と不思議に思って調べてみても、これといった情報もつかめずにいたのですが、先日、また訪れてみた時に、たまたまそこにいた近所の人と思われるおじさんに尋ねてみたら、「いつもは12本の線だけど、閏年には13本の線になるだぞん」と教えてくれました 何のために、いつから行われているものかは分からなかったですが、どうやら暦に関連するものらしいということが、おぼろげながらつかめたようです。

閏年とか、13の月とか、13ヶ月とか、太陽暦とか太陰暦とか・・・、暦の話になると、これまたややこしい・・・( ̄▽ ̄;)と思いつつも、色々と調べていたら、こんな話が出てきました。

仲哀天皇の頃から、氏族が自分たちの部落の行事に合わせて暦を編纂していて、今も部落ごとに守られている地域があるのだとか。木の幹を小さく割って、大小さまざまに一年の月日に並べて、皆が一致するまで、立て替え、並べ直しを繰り返し、納得がいくまで日取りを組む。こうやって、太陽暦と陰暦のずれを計算して、暦を作る、これを「日振り」といい、そして、その暦が出来上がると氏族一同に触れて回り、知らせることを「日振れ」という・・・、こんな記述を見つけました。

ふ~ん、菱木埜の木の幹を割ったような物に書かれた12本の線も、暦を現わしているのだとしたら、こんな風習からきているのかもしれない。そして、出来上がった暦を集落の人々に知らせるために線を書いて(今年は12カ月だよ、今年は13カ月の年だよってな感じに)、人が集まる場所に置いたのかしら?そして、それがああいった形で今でも残っているのかしら?そんな想像をしてみました。

太陽暦と陰暦は、現在でも調整が難しいということですが、古代では、氏族によって暦が違っていたらしく、氏族間の暦の調整はとても大変で、暦は自国の命運をも左右させるような政治的にも重要なものであったようです。

おっと、34度47分ラインから話がちょっとズレちゃいましたので、話を戻しましょう

菱木埜天神社の西側は三河湾にドボンしちゃうので、東を見てみます。すると、石巻山がバッチリ見えるのです。そうです、石巻山も北緯34度47分で、菱木埜天神社と東西で直線に並ぶのです。春分、秋分には、石巻山から昇る太陽を菱木埜天神社から見ることができるのです。

菱木埜天神社と石巻山の距離は、直線で約10キロ少々ですが、この間には・・・、

菱木埜天神社(徐福伝説・秦氏)
平井稲荷山貝塚
菟足神社(徐福伝説)
五社稲荷(古墳)
瓜郷遺跡(竪穴式住居)
光道神社
八所神社
行明神社
牛川浪ノ上稲荷神社(古墳・徐福伝説)
石巻山

こういったところが並んでいるのです。

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地図にラインを引っ張ってみるとこんな感じです。このピンクのライン上に、上記の神社などが点在しています。線が細いので、ラインからはみ出している場所があるじゃんって思うところですが、緯度の1分は、おおよそ1.85kmの幅がありますので、その中にこれらの場所が点在しているということです。ちなみに緯度が1度違うと、111km違うそうです。1分以内の中に、これだけのものが置かれているということは、偶然できたものだとは考えにくく、たぶん、計算して配置されたのではないかと思います。

さて、このラインの中にある「光道神社」は豊橋市大村町にあります。豊川沿岸にあるこの神社は、目の前に石巻山を見ることができるロケーションとなっています。「光の道」という名のこの神社は、石巻山を春分、秋分に遥拝する場所であると言われています。

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神社は、船の形をした敷地に建てられていて、来名戸之塞神(クナトノサイノカミ・クナト神)と住吉三神の中の底筒男命、中筒男命の2神と神功皇后が祀られていますが、ここと同じように豊川沿岸の一宮町にある津守神社も船形の敷地にあり、住吉大社を祀る津守氏と同族だということで、何か関係あるのではと思わずにはいられませんね~(^^)

さらに、34度47分ラインからは外れていますが、御津町(みとちょう)にある御津神社の境内にも、船形に組まれた石垣に龍神が祀られており、これもまた何か関係があるのかな?と思ってしまいます。

クナト神は、フナト神、塞ノ神・才の神(さいのかみ)とも呼ばれ、イザナギが、黄泉の国の亡者となったイザナミに追っかけられた時に、杖をさして追い払った「来な=クルナ」の神と、船で神が渡ってきたので、フナト神と言われるとか、いろいろと説があるようです。

そして、さらに東へと辿ると、牛川原人の骨が出土したことでも有名な牛川地区があります。最近も、何やらが出土したらしく、発掘作業なんぞをやっています。その牛川の浪ノ上町に牛川浪ノ上稲荷があります。ここは古墳でもあります。

ここから東には石巻山が見えますが、真北を見てみると砥鹿神社里宮を通過して、本宮山へと行きつきます。

本宮山と石巻山を“山あて”にして、南北、東西のラインが交わる場所に、浪ノ上古墳を築き、この二つの山を遥拝していたのではないかと思われます。(逆に遥拝所だったところを古墳にしたのかも?)

さらに、驚くべきことには、本宮山から浪ノ上古墳の距離を二分したところに、砥鹿神社里宮が位置するのです。おお~、ビックリ~と言いたいところですが、わざと作ってあるので、敢えて驚くことでもないようです(^_^;)

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浪ノ上稲荷神社です。近所の人に地域の住宅地図を見てもらって(近所の人も知らないという・・・)、やっと見つけました。はふぅ~(>_<)

ここも徐福伝説が残る場所です。今ではあまり知られない場所になっていますが、この場所は、東西南北ラインの交わる重要地点だと思われます。

さて、34度47分とは違って、超メジャーなレイラインと言われるのが、34度32分のご来光の道で、これは東端を神島にして、伊勢の斎宮~奈良の大神神社へと東西へ伸びる、名所旧跡史跡だらけのラインとなっています 超豪華っ( ̄▽ ̄;)

これと比べると、34度47分は超ローカルなしょっぱいレイラインですが、それなりに謎がいっぱいって感じで、なんだか楽しくなってきます。にゃんとですね、このローカルレイライン上に、ウチのお寺も実家もあるし、どんどん東へと伸ばして言ったら、掛川市の事任八幡宮とも同じ緯度になってたっすよ~。うひょ~、パーソナルレイラインだ~!感激~ 春分の日には、実家から事任八幡宮へと繋がってパワーをいただいてみようかしら?これぞ神仏のリレーション(^◇^)

でもって、事任八幡宮から北へとラインを伸ばしてみると(東経の数値が同じところを辿ると)、粟ヶ岳(阿波々神社)があり、そして、分杭峠を経て、戸隠へと繋がっていくのです。これもまた、ちょいと豪華な南北ラインですね。

そして、12月22日は冬至。この日は一年で最も日が短い時期になります。冬至は一年の中で一番太陽のパワーが弱まりますが、この冬至を境に、太陽はまたエネルギーをどんどん増していく(日が長くなっていく)ということから、再生を意味すると言われます。太陽のエネルギーは夏至の日が最大になるということから、夏至の日の出(朝日)にパワーがあるってことになるんですね。

そんな太陽のエネルギーをいただくべく、古代より人々は太陽を信仰し、特に夏至の日の出と冬至の日没を重要視していたようです。

石巻山から冬至の日没の方角は、伊良湖岬の先端、うち海のゴルフ場のあるあたり。さらに西へ伸ばしていくと、三重県の答志島、伊勢神宮内宮となります。答志島の名の由来は、“冬至の島”からきているそうなので、古代より冬至に関係する場所だったようですね。

「冬至にかぼちゃを食べると病気にならないよ」といった言い伝えは、こんな所からきているのでしょうか(^^) さてと、もうじき冬至ですが、再生のエネルギーを充電してみてはいかがでしょうか。

さて、連日連夜のライン探し、ライン引きで、ついに頭痛で悶絶しておったモ吉さんですが、レイライン&エネルギーライン探しは、まだまだ続くのであった・・・。

続きは次回です


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本日は「B フレンズ」ブログに、ようこそいらっしゃいました(^^)

穂の国東三河~三遠南信地域を中心に、歴史や信仰、伝説の謎などの探求しています。そして時々エネルギー研鑽も♪

2017.9.19ブログタイトルを改めました。

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