お彼岸も過ぎ、桜の開花が待たれる時期となりました。

早く暖かくなってくれないかなーって、
寒さに嫌気がさしている今日この頃。

ホントに毎日毎日風が強くて、イヤになってきます。

この風に強さに、やっぱ「風まつり」って言われるだけあるわ~って
納得してみたりします。

さて、今年も菟足神社の「風まつり」がやってきます。

今年は4月8日㈯、9日㈰です。

今回は、こぶめろ弟が、子供たちの引くお車の付き添いの役をやるとかで、
裃を新調する羽目になってました(^-^;

お祭りを維持していくのも大変そうです。



追伸:

お祭り当日、菟足神社の近くにある従姉妹の家へ行き、何年かぶりでお祭り見物をしました。

叔母や従姉妹たちとお車が来るのを待っていると、そこへ裃を着たこぶめろ弟が登場。まるで福助かバカボンかってな着こなしで、大笑いしてしまいました。

「まあ、まあ、なんちゅー着方をしとるだん?」と、呆れながら叔母がほどいて直してました。

男の人は、腹の下で紐や帯を結ぶのに、胸の下で裃の紐を結んでたら、そりゃ福助かバカボンにしか見えんわねぇ(^-^;

カッコわるっ




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2017_03_26


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もうすく菟足神社の風祭りです。今年は4月7日(土)、8日(日)です。花火は土曜日の夜7時から行われます。境内では手筒花火、神社の前の空き地で仕掛け花火があります。至近距離から見る仕掛け花火と仕掛け花火のやぐらの真後ろから打ち上げられる“裏打ち”といわれる打ち上げ花火はド迫力☆春先の花冷えといわれるような時期ですが、花火見物、お祭り見物にお出かけしてみてくださいな

東三河は、徳川幕府から火薬の取り扱いを許可されていた地域でした。家康は、幕府に敵対できないように、武器の取り締まりや、武力に繋がりそうなことを排除するように細心の注意を払っていました。「入り鉄砲、出女」といわれるように、関所では武器を厳しく監視し、武士には刀を抜くことも、剣術の練習さえもご法度にしていました。ある大名は、ちょっとだけ剣術をしようとしただけなのに、幕府から謹慎を言い渡されたという話があるそうです。

これほどまでに、諸大名の武力に対してピリピリしていた家康が、どうして東三河の武士のみならず、一般庶民にまで火薬を扱うことを許可したのでしょうか?火薬は、日本国内では産出できないもので、輸入に頼る貴重で高価な物でした。また、東三河は武士から農民までもが、火薬の他にも弓の弦を張った状態で所持することを許されていました。東三河だけが、いつでも戦争OKの、戦闘準備態勢バリバリな感じですよね 何のためにこんなことをさせたのか、家康は何を想定していたのかが興味をそそるところです

そんなこんなの歴史もあって、この地域は祭りと言えば必ず花火というほど、花火が当たり前で、ホントに花火が好きな人が多いです。風祭りの仕掛け花火も、「寄付を集めるのが大変だから今年が最後かも・・・」という話はコブメロが子供の頃から耳にしていたのですが、いまだに仕掛け花火をやっているという・・・ あ~あ、なんだかんだ言って、やっぱ花火はやめられないのね~(^_^;)

そんなコブメロも、従姉妹の家が菟足神社のすぐ近くなこともあり、お祭りの日は従姉妹の家に入り浸り。神社の屋台に花火を買いに行っては、爆竹をバンバン出しまくって、遊び呆けてました。楽しかったにゃ~

おっと、花火好きのバカのしょーもない思い出話はさておき、今回は、菟足神社に関係する場所を紹介してみたいと思います。

式内の古社である菟足神社。祭神は、「菟上足尼命(うなかみすくねのみこと)」です。菟上足尼は、孝元天皇の後裔の葛城襲津彦命(かつらぎそつひこのみこと)四世の孫で、足尼(すくね)は宿禰(すくね)で、古代の姓の一つ、天皇の近臣の敬称です。竹内宿禰の後裔とも云われ、「国造本記」には穂国造りとあります。

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<菟足神社の巨大な兎>

菟足神社のある小坂井町のお隣の平井町に柏木の浜といわれる場所があります。ここは菟足神社の祭神の旧蹟と伝えられていて、菟上足尼命は暴風の末、なんとか無事にこの浜に到着されました。しばらく平井に滞在されていた菟上足尼命は、その後、菟足神社へと移って行ったといわれています。


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<柏の木が三本あります。柏は新芽が出るまで枯れた葉を落とすことなくつけたままでいることから、家が代々続いていく縁起物にされています>

柏木の浜から西へ300メートルほど行った所に、善福寺というお寺があります。

善福寺の伝えによると、平井郷柏木の浜に着かれた菟上足尼命に、平井の郷人が善福寺境内の田園を捧げて宮を造った。その宮の園内にて、蹴鞠の儀が催された時、梅の木に蹴鞠が当たって、梅の実がすべて地に落ちてしまった。菟上足尼命が薨去した後は、この梅の木には梅の実がならなくなった。この梅は“ならずの梅”と呼ばれ現存していると以前書かれた本にはありましたが、イマイチどこにあるのかが分からなかったです。今もあるのかな?

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<善福寺にある菟上足尼命のご休憩跡>

善福寺から西へ100メートルほどの信号交差点の角に、平井の八幡さまがあります。ここに菟上足尼命が祀られていて、その後、菟足神社へと移って行かれたのです。

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<平井八幡社>

お祭りでは、日曜日の午後から、平井から菟足神社へ神様をお連れする神事があります。これが、平井の人が来ないと祭りが始まらないといわれる所以でしょうか。「ほこ様」と呼ばれる神様を地面から持ち上げないように、地面を引きずるようにして、お運びするのです。高さが3メートルくらい?ありそうな竹の竿の先に三角形の飾りと剣のようなものがついていますが、これがほこ様で、これを真っ直ぐに立てた状態で、引きずってお運びするのです。倒してしまうと、また最初の位置からやり直しということで、倒れやしないかとハラハラしますが、これが一度も倒したことがないという話で・・・。ホントかなぁ?

また、ほこ様と一緒に、若い衆が大きなしめ縄を平井から菟足神社まで担いでいきます。この大きなしめ縄は、大きさといい、形といい、なんだか中に人が包まれているような雰囲気もあるんです。お祭りの朝に最初に橋を渡った娘をいけにえにするという、いけにえ伝説から、その娘さんが中にす巻きにされているのだろうか・・・?なぁんて、幼き頃はアホな妄想をしておりました(^_^;)

おしめと呼ばれるこの大きなしめ縄は、菟足神社の一の鳥居にかけられます。このしめ縄をくぐると一年健康でいられるという話を聞いたことがあります。以前は、しばらくすると外されてしまったと思いますので、上手いことくぐってみてくださいな。


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<菟足神社一の鳥居。宿や小坂井地区の大きくて立派な山車も鳥居の所にいて、これもまた見事です>

今年はいまだに寒いせいか、桜の見ごろは4月7日あたりだとかいう話も。桜の花がお祭りをまた演出してくれそうです(*^_^*)

さて、お祭りがらみで、菟足神社関連をご紹介しましたが、実は、ここにも南朝に関わる謎が隠れているようです。前回の南朝リレーその1で紹介した美佐々木のすぐ近くにある、尼御所と呼ばれたという地域のすぐ近くに柏木神社という名の神社があるのです。また、後醍醐天皇の皇女で、長慶天皇の身代わりとなられたという、兎年生まれの灌子内親王が平井にある柏木の浜に上陸されたという伝承もあり、なんだかこれらと関連がありそうな気配がしています。

ということで、この話は次回に・・・


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2012_03_25


豊川市小坂井町にある菟足神社の祭礼の季節となりました

今年は自粛するのかどうかという話も出ていたようですが、神社庁からのお達しもないということで(実家のオカン情報)、どうやら例年通りに開催するとの情報を得ました。

祭礼の日時は、
4月9日(土)、10日(日)です。

恒例の仕掛け花火は、9日(土)午後7:00~、菟足神社の土手前の空き地で行われます。同時に境内では、手筒花火か行われます。迫力のある花火は見ごたえありです

10日(日)の午後からは、平井地区の若い衆が大きな注連縄を担いで、菟足神社へと突撃します。笹踊りや子供たちが引くお車が列を作って、平井の八幡社から菟足神社へと行列します。

コブメロが小さい時には、厄年の若い男の人たちが、酒を飲んで酔っ払い、大暴れしながら注連縄を担いでいて、メチャメチャ怖かったですが、最近では、若い人不足のためか、中学生や高校生が注連縄を担いでいるとか・・・(>_<)

波の模様の着物を着た若い衆は、荒々しく菟足神社の拝殿内へと集団で突入していき、勢いがショボイと、世話役のオジサンたちに「もっと勢いよく突っ込んでこい!」とあおられていました(^_^;) これは暴風雨の海から無事に平井の浜に到着した神様の様子を現わしているとか聞いていたんですが、調べてみると、「穂国前期国造の朝廷別命(みかどわけのみこと)を、後期国造の菟上足尼命(うなかみすくねのみこと)が追い出した事に由来する・・・」こんな話も出てきました。

菟上足尼命というのは、雄略天皇の時代に穂の国の国造となり、最初は平井の柏木の浜に宮を作りました。それが平井の八幡社だということです。後に、今の菟足神社の場所に移り、祀られたとのことです。それ以前の菟足神社の祭神は、朝廷別命と言われています。

なので、お祭りの時に、平井の若い衆が突撃隊になるというのは、菟上足尼命が平井から、小坂井の菟足神社の場所に攻めていく様子を現わしているってことなんですね。

朝廷別命さん、追い出されちゃって可愛そう~

でも、この朝廷別命さんというお方は、やんごとないお生まれの高貴なお方だということで、垂仁天皇第一皇子「本牟津別王(ほむつわけのみこと)」という説もあります。

さて、仕掛け花火と同時に境内では手筒花火が奉納されますが、小坂井の手筒は、「左側に抱える(心臓側)=勇気がある」と言われています。最後に火花が筒の下へと抜ける「ドン」っていう爆音には、音が来るのは分かっていても、思わず心臓がドッキリとさせられちゃいますね

少し前に、テレビで、静岡県の新居町のお祭りで奉納される手筒花火を見ましたが、ここの手筒は、最後の「ドン」という抜けがないんですね。巨大なドラゴンといった感じの手筒花火でした。ちなみに江戸時代、新居の関所は吉田藩の管轄でした。その影響で、遠州にも手筒花火が広まっていったようです

参考までに、花火見物は、駐車場が難しいかなと思います。ひょっとしたら、五社稲荷のところに駐車出来るのかもしれませんが、でも、あの辺りには、篠束地区の山車が出ていたと思うのですが、ちょっと不明で、すみません

電車なら、飯田線の小坂井駅から菟足神社までは、徒歩5分もかからないほどで行けますよ


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手筒花火

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富士山形のナイアガラ

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ちょっとピンぼけ、仕掛け花火。この後、観音開きになって、更に大きな仕掛け花火が登場。

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頭上で炸裂、仕掛け花火の裏打ち花火。


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これでもか~、ってなくらいに至近距離で炸裂する裏打ち花火。

去年の花火の様子でした(^-^)

よかったら花火見物に行ってみてくださいね。夜は寒いので、防寒をお忘れなく。








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2011_04_04


さて、残すところ2010年もあと2日となりました。

来年の干支はウサギですね 大きくビョ~ンと飛躍するぞ~といった意味で、来年の干支にちなんだウサギの神社へと初詣にお出かけしてみてはいかがでしょうか☆

ウサギの名前の付いた神社が二社あります。まず一つは、豊橋市高塚町にある“菟頭神社”です。ウサギの頭と書いて、“うがしら”と読みます。

国道42号線(表浜街道)を浜松方面向かって走ると、高塚の信号のすぐ手前に右側に入る道路があります。そこへ入って行った奥にある神社です。民家の路地のような道路になっていますが、神社脇には何台か止められる駐車場があり、地元の人たちによってとても大切に綺麗にお祀りされている神社です。神社の南側はすぐ海です。

先日訪れた時には、迎春準備に地元のおじさんが来ていて、「ここの神様は紙のお賽銭が好きだで、よろしくお参りしていっておくれんのん、アハハ」なんて面白いことを言っていました(^^)

さて、菟頭神社の祭神は“月読命”です。由緒によると、“トフトの神”がその名の由来のようですので、このトフトに菟頭の字をあてて(“菟”は“とつ”と読みますので、菟の頭と書いて、“トツト”と読むことができる)、菟頭神社となったのではないかと推察します。

柳田國男の研究によると、トウト神と言うのは、「近戸(チカツ)神」に対する「遠戸(トウト)神」と言うことで、「鳥頭(トットウ)」「唐戸(トウツ)」「渡唐(トトウ)」「東頭(トウヅ)」「止々(トト)」・・・、などという名前の神社をみることができるそうです。

遠戸神というのは、一種の防ぎの神、境の神(境界の神)と分類されるとのことです。

菟頭神社は、元々こういった性質の神様を祀っていたのではないかと思われますが、どこかの時代で、祭神が月読命とされ、「トウト=菟頭」と当てられたのではないかと。祭神が月読命の菟(うさぎ)と書く神社だなんて、なんてロマンチックな取り合わせの神社でしょう。月のウサギ神社ですね!

参考までに、ヘルモポリスというエジプトの古代都市を中心に信仰された神がトート神です。ギリシャ語ではトトと呼ばれます。ヘルモポリス以外の地域でも多くの信仰を集め、広い地域で長きにわたって信仰されたため、知恵の神、書記の守護者、時の管理人、楽器の開発者、創造神などとされ、神話も多岐にわたっているという神様だそうです。古代エジプトでは月の属性を持ち、太陽が沈んだ後の夜の時間は、トート神が地上を守護をするとのことです。こちらのトートという名の神様も月に関係しているようですが、エジプトのトート神と月読命を祭神とする菟頭の神様に何か関係がありそうな、なさそうなといった謎を感じて、興味が湧くところですね。

「トホカミエミタメ」という神咒(かじり)がありますが、これは「遠つ神 笑みたまえ」といった意味があるとのことですが、ひょっとしたら、ここでいう“遠つ神”とは“遠戸神”という解釈もできるのかなと、思ってみたりしました。

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そして、もう一つ。以前にもブログでご紹介しました、豊川市小坂井町の菟足神社です(市町村合併で宝飯郡から豊川市になっちゃいました)。

平井村より菟上足尼命(うなかみすくねのみこと)をお迎えし、お祀りしたのが菟足神社で、神社に菟(うさぎ)の名がつくのは、この方に由来するのではないでしょうか。菟上足尼と言う方は、第8代孝元天皇の子孫の、葛城襲津彦(かづらきそつひこ)四世の孫で、中央から穂国造(ほのくにのみやつこ)として派遣され、この地域を治めていた方です。

徐福伝説やいけにえ伝説のある神社としても知られています。
参考までに、過去記事はこちらです。
「いけにえ伝説」
「イサクの祭りと菟足神社(うたりじんじゃ)の風まつり」

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それでは、来る新しい年が皆様にとって素晴らしい年になりますように

今年もありがとうございました。来年もまたよろしくお願いいたします(*^_^*)





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2010_12_30


桜、満開 春ですね~ 各地もお花見で賑わっているようですね(^^)

今週4月10日(土)、11日(日)は愛知県小坂井町にある菟足神社の風まつりです。桜の花は今度の土日までは持たないかな~?といったところですが、この菟足神社は、以前「いけにえ伝説」というタイトルでご紹介したことがある神社です。


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さて、この「いけにえ」ですが、菟足神社の他に諏訪大社でも行われていたということです。

諏訪大社というと、七年に一度の「御柱祭」が有名ですが、諏訪大社上社では毎年4月15日に「御頭祭」という祭事が行われています。

この御頭祭、五穀豊穣を願って、いけにえとして様々な作物や動物が供えられ、大地の恵みに感謝をするといったお祭りですが、江戸時代までは鹿の生首75頭や鯉、ウサギ、イノシシの内臓の和え物などがお供えとして捧げられ、また、御贄柱(おにえはしら)という柱に8歳くらいの少年をくくりつけ、竹のむしろに置き、小刀を振り落とそうとすると、使者が来てそれを止めるといったことも神事として行われていたとのこと。お供え物の中に鹿の頭があることから「御頭祭」と呼ばれ、お供えされた鹿の中には、必ず片耳の裂けた鹿が一頭いて、七不思議の一つになっているようです。

今では、鹿の頭のはく製三頭(耳の裂けた鹿もいる)と生きたままの雉(後で放たれる)などがお供えされているそうです。

また、鹿の頭や鳥獣魚類といった特殊な神饌をお供えすることから、狩猟に関係したお祭りとも言われているようですが、御頭祭の内容をひも解いてみると、ユダヤに伝わる「イサクのお祭り」に通じるものがあるみたいですよ。

イサクというのは、イスラエル民族の「信仰の父」と呼ばれるアブラハムの一人息子の名前。アブラハムはある日、「一人息子のイサクを連れて、モリヤの地へ行くように。そして、その地でイサクを全焼のいけにえとして捧げよ」と神からの命令を受けてしまったので「なんで、そんなことを・・・」と苦悶しつつも、神の命令通りにモリヤの地へ旅立つことにしました。

モリヤの地に着くと、アブラハムは息子のイサクを縛り、焚き木の上に乗せ、イサクの命を神に捧げるためにナイフを振り上げたんですが、同時に天使が現れ、アブラハムの手を止めて「その手を、その子に下してはいけない。今、あなたが神を畏れることがよく分かった。自分のたった一人の子供さえ惜しまないで私に捧げた」といって、アブラハムの人生を祝福しました。

すると、藪に角を引っ掛けている一頭の雄羊が見えたので、アブラハムはその雄羊を自分の子供の代わりに全焼のいけにえとして神に捧げました・・・、といった話が旧約聖書に「イサク奉献」の話として載っているそうです。

さて、もうお分かりですよね諏訪の御頭祭で代表的な「少年を柱に縛り付けて小刀を振り落とす」「片耳の裂けた鹿のいけにえを捧げる」といった内容が、このイサクの話によく似ているんですね。たぶん、藪に角を引っ掛けた雄羊が耳の裂けた鹿なのだろうってことです。

諏訪大社の前宮の背後にあるモリヤ山が御神体で、モリヤ山に降臨する神「モリヤの神」を古来より信仰してきたのだろうということです。そして、現在78代目だという守谷家という家が代々祭主となって御頭祭を行ってきたそうです。守谷資料館では、こういった鹿のはく製やウサギ、少年をくくりつけた柱などを見ることができるようですよ。

イサクと諏訪の類似点については、細かく言い出したらまだまだたくさんありますが、大まかに言うとこんなところです。

さてさて、同じようないけにえのお祭りが小坂井町の風まつりです。このお祭り、田舎のお祭りにしては結構盛大かつ厳粛なんですね。菟足神社のある小坂井地区を中心に、篠束地区、新町地区、平井地区といった地域が一緒になって行うお祭りです。平井の浜に上陸されたという神様を菟足神社までお連れする神事があるのですが、この鉾様(ほこさま)と呼ばれる神様は、竿のような長い高いもので、これをたった二本の紐で引っ張りながら地面を引きずりながら(持ち上げてはいけない)お連れするのです。倒してしまったら、振り出しに戻るっていう、結構キツイ大変な神事もあるのです。とりあえず失敗したことはないみたいですが・・・(^_^;)

かつては人身御供が行われていたという伝説もあり、赴任していた国司(大江定基)がいけにえに嫌気がさしたなんて話もありますが、現在は祭礼の朝に打った雀を奉納しているそうです。

諏訪のいけにえと菟足神社のいけにえ、これには菟足神社に伝わる徐福伝説に関連があるのかもしれないとも思うのです。

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全国には、徐福一行の渡来の地といわれている場所が二十数か所もあるそうですが、渥美半島に上陸したとしてもおかしくはないわけです。そして、渥美半島から人々は、豊橋、小坂井、豊川、新城~奥三河経由で飯田、諏訪へと、内陸へ移動していったということは、三河、遠州、南信州の文化や言葉を見れば簡単に予測がつくと思います。この三地域は古代より往来があり、何らかの共通の文化が伝わっていた地域だと思うのです。現在でも言葉や風習が似通っている部分が多いですね。おまけに、徐福が目指していた蓬莱の国と符合するかのように奥三河には鳳来寺山があります。

また、菟足神社の言い伝えには「熊野に渡来した徐福一行は、この地方に移り住み、その子孫が秦氏を名乗っている」「秦氏の先祖は、中国から熊野に渡来し、熊野からこの地方に来た」というものがあり、徐福伝説と秦氏の関わりも興味深いところですね。確かに、羽田、波多野といった名前や機織りに関連した神社はこの地域に多いですね(犬頭神社、服織神社、わくぐり神社など)。

我が整体院から数分の中学校は羽田中学校だし、羽田八幡宮もあるし、ドグオ氏の母方は羽田野さんだし・・・。身近にも多いな~。

秦氏の故郷は中央アジアの「弓月」(現在のカザフスタン)という国だったという話もあります。そこから日本へ移動してきたのだとしたら、シルクロード経由で伝わってきた情報や技術、生活様式なども一緒に持ち込まれたことでしょう。すでにキリスト教やユダヤ教などの宗教なども伝わっていたかもしれません。それらが秦氏の来日と一緒に伝わってきたとしたら、その中にはいけにえの習慣もあったのかもしれませんね。

また、日本人とユダヤ人は元は同じだという説もあって、何やら話はややこしくなりそうですが、何気に行われているお祭りの風習の中からこんなことが見えてくるなんて、面白いですね~。逆に古くから伝わる習慣や伝統、伝説の中に古代の歴史を紐解くヒントが隠されているんでしょうね。この紐解きがメチャ難しいけど、楽しくもあるなんて思います。

コブメロんチのお寺は結構古いのですが、過去に大水で何度も流されているとのことで、過去帳などの資料になりそうなものが全く残っていないんですと。んむむ~、残念

風まつりの花火はメチャ面白いです。土曜日の7時から仕掛け花火もあり、神社境内では手筒花火も奉納されます。仕掛け花火は、間近でみると心臓が抜けそうな大爆音で、火の粉も降ってくるといったド迫力がたまらんっす

お近くの方はぜひ見物にどうぞです。今週の土曜日です。

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社殿の中にはウサギさんもいらっしゃいます





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2010_04_06


秋祭りもたけなわですね。今日は超ローカルなお祭りの話です。

愛知県宝飯郡小坂井町に菟足神社(うたりじんじゃ)という神社があります。国道一号線を豊橋方面から名古屋方面に走っていくと左手にあります。右手には五社稲荷の大きな赤い鳥居が見えます。

この神社のお祭りは「風(かざ)まつり」といわれ、古くから行われている有名なお祭りです。NHKでも何度か取り上げられたことがあります。

この神社の祭神、菟上足尼命が当地に着任された時、“海上がひどく荒れたにもかかわらず無事に着かれたことから、風に強い神様といわれ、信仰を集めたと”いう言い伝えから、風に霊験あらたかな神社とし、この神社の祭りを『風の神様のお祭り』と呼び、いつとはなしに『風(かざ)まつり』と言われるようになったと伝えられています。

古来からあるお祭りとは、どの地域でも同じだと思いますが、この祭りにもちょっと土俗的で怖い感じのいい伝えが残っています。

この神社の近くには旧東海道があります。この街道の傍らに「子だが橋」の碑があり、この橋には1000年前の人身御供にまつわる悲話が伝えられています。

菟足神社の大祭の日には、その日最初にこの橋を渡る若い女を生贄にする風習がありました。ある年、生贄を捕まえる役目の人が待っていると、やって来たのは自分の娘でした。彼は「子だが、仕方がない」と、泣く泣く娘を生贄にしたという伝説が残っています。

今でも大祭の日の朝に打ったスズメを奉納しているそうです。これって若い娘の生贄の代わりなのかしら・・・?1000年位前といえば平安時代の末期頃だと思いますが、そんな頃まで生贄の風習が日本にあったのでしょうか。インカやマヤではあったと言われていますが、生贄を欲しがる神様って日本ではあまり聞いたことがないと思います。

友人から聞いたこの神社にまつわる話です。その友人が仲間数人とお祭りに行ったのですが、その時、仲間の一人がウサギの足のキーホルダーを持っていました。その子は仲間から、「あんた、本物のウサギの足なんか持っていたら、ここの神様のバチが当たるよ。知らんでねー」と散々注意をされました。その子はそんな注意もお構いなしにしていたのですが、数日後、交通事故にあい、大変な怪我をしてしまったそうです。

本当に神様のバチが当たってしまったのでしょうか・・・。生贄にならなくて良かったですね

こんな怖い話もあるのですが、手筒花火や仕掛け花火が迫力満点でとっても楽しく、屋台もたくさん出て、にぎやかなお祭りです。仕掛け花火は超至近距離から見物でき、裏打ち花火の音や光、火の粉は迫力ありますよ。花火のカスも時々飛んできます。風まつりと言うことから風車が有名で、厄除けに買われる方も多いそうです。

この祭りは春4月の初旬に行われます。一度見物されるといいですよ(*^_^*)

しかし、東三河の人は花火が大好きですよね。最近では、あちこちで手筒花火の発祥の地だと競い合ってますね~。


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2006_10_07


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本日は「東三河エネルギー研鑽会」ブログに、ようこそいらっしゃいました(^^)

穂の国東三河~三遠南信地域を中心に、歴史や信仰、伝説の謎などの探求しています。そして時々エネルギー研鑽も♪

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