B フレンズ

穂の国東三河を中心に、三遠南信の歴史と謎、エネルギーを探求しています。ブログタイトル改めました。

  1. スポンサー広告
  2. [ edit ]

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


  1. アラハバキ神
  2. tb: 0
  3. cm: 2
  4. [ edit ]

持統天皇三河行幸の謎

前回のアラハバキ神巡りの続きです。

今回私たちは宝飯郡音羽町の宮路山の麓にある「宮道天神社」と宝飯郡御津町側の宮路山中腹にある「白山神社」に行ってきました。

この宮路山は旧東海道沿いにある音羽町と三河湾に面した御津町(みとちょう)にまたがる山で、旧東海道が整備されるまではこの山を越えるルートが東西への街道として使われていたようです。宮路山自体はたいした高さの山ではないのですが、ここの山道は結構きついです(私たちだけかな~^^;)。

まず、音羽町にある「宮道天神社」に行きました。この神社は天武天皇と持統天皇の息子である草壁皇子が住んでいた宮の址ではないかとの伝説があるそうです。

DSCI0106-50.jpg
静かな山に抱かれ、境内内には湧き水があり、住まいにするのにはとても気持ちのいい場所に思いました。

DSCI0108-50.jpg
この小さな祠がアラハバキ神でしょうか?

DSCI0109-50.jpg
神社の説明看板です。草壁皇子をお祀りしています。


何故、草壁皇子がここに住んでいたのかも諸説あり、謎だそうです。

そして、この宮路山の山頂にある「宮道天神社奥の院」へ行ってみました。

宮路山へは途中までは車で登れます。車を止めて、山頂までは山道を歩きますが、結構キツくて、バテバテでした。でも、木立の中の空気は清々しく、湧き水も冷たくて気持ちよかったです。この辺りは湧き水のキレイな所で、近くに湧き水を汲める場所もあるんですよ。その水汲み場には聖徳太子も飲んだと案内看板がありましたよおためしブルー


DSCI0112-50.jpg
宮道天神社奥の院です。以前、ドグオ氏は一人でここへ来て、この神社を覗いた時に、奥に何かがいるような気配がしてとても怖かったといっていましたが、この日は天気もいいせいか、そんな風には感じませんでしたよ。でも、奥にある祠はとても古そうです。これがアラハバキ神だとも言われているようです。


宮路山の山頂には昭和の初期に建立された石碑があります。そこには「持統天皇が三河に行幸された」という内容のことが記されています。そしてまた、この宮路山は壬申の乱の時に陣を張った場所だという言い伝えもあり、歴史の中には全く出てこないことなのですが、この場所(東三河)と持統天皇、草壁皇子に何か関係があるような痕跡がチラチラと残されているのですね~羅琉 満足 御津町(みとちょう)の名前も、天皇が到着された港という意味で「御津」というらしいですよ。

その痕跡の一つが、宮路山の御津町側にある「白山神社」にもあるのです。そこには草壁皇子のお墓があると言われています。天皇になる予定だった草壁皇子は若くして亡くなってしまったようなのですが、葬られた場所がこの地だったとの伝承があるのです。

DSCI0116-50.jpg
これが白山神社にある草壁皇子のお墓といわれている石碑です。

DSCI0118-50.jpg
この白山神社は氏子の数が12,3軒だと言われていて、集落の大きさに比べて神社規模がが大きいと言うことで、それも不思議だと言う人もいるようです。確かに神社の社は立派で大きいです。


実はこの白山神社を探すのに苦労してしまいました。図書館で借りてきた「御津町の歴史などを案内する本」を手がかりに行ってみたのですが、場所が全く分からなくて、あきらめようかと思ったほどでした絵文字名を入力してください

「車が入っていっても大丈夫かしら?」と思えるような細い農道や山道ばかりでしたが、ひょっとしてここではないかと思われる細い道を見つけて、コブメロの愛車バモスで突入してみましたフヌ

バモス一台がギリギリの、「この先どうなってるの~?」という細い山道でしたマジですか

道の脇には白山神社と書かれた灯篭があるので、どうやらここらしいのですが、神社が見当たりません。このままこの山道を進んだら道がなくなってしまいそうで、不安になり、地元の人に聞いてみました。

すると、地元のおばさんは「この道をずっと上がって行けばあるよ。車で行けるよ」と教えてくれましたが、「何しに来たの?」と鋭い目で見られちゃいましたsc04

おばさんの教えてくれた道は、「本当にこんな道を進んでいいの~?」って思えるくらいの凄い道なんです。坂が思ったよりきつくて、車体の重めなバモちゃんはヒーヒーですえーん

たぶん四駆の軽トラだったら楽に行けたでしょうね。四駆の軽トラ欲しいにゃ~羅琉

山道も細く、落ち葉や泥でドロドロになっているので、坂の途中に車を置いて、残りの山道を歩いて行きました。そして、ついに到着しました。

DSCI0119-50.jpg
汗ダクダクでくたびれましたが、神社は夏木立の木漏れ日の中、静かに佇んでいました。この神社はここの集落の人以外は、誰も訪れない神社だと思います。


ただ石碑が残っているだけのこの場所に、本当に草壁皇子は葬られたのでしょうか?

今となっては黙して語らぬ遺跡ばかりですが、チャネリングとかリーディングや霊視が出来る人が見たら何か分かるのかな~~~?なんて思っちゃいます。前世を見たりするのもいいけどさ~、こういうことにチャネリングやリーディングが出来たら面白いと思うんだけどな~ドラ

壬申の乱、古事記、日本書紀の成立、伊勢神宮の縁起に大きく関わったとされる持統天皇ですが、歴史の記録に東三河のこの地に1ヶ月間滞在したと残されています。それも持統天皇が亡くなる2ヶ月前の出来事です。

まるで命を削るかのようなこの三河行幸には、一体どんな謎が隠されているのでしょうか?

東三河の御津町(みとちょう)、小坂井町、音羽町、一宮町などには持統天皇三河行幸の足跡が点在しています。これらにはアラバハキ神との関係も見え隠れしています。もっかのところこの謎に挑戦してみようかと思っています。



スポンサーサイト
テーマ : スピリチュアル    ジャンル : 心と身体

  1. アラハバキ神
  2. tb: 0
  3. cm: 7
  4. [ edit ]

東三河のアラハバキ神

今回、私たちはアラハバキ神が祀られているという神社に行ってきましたちな♪

まず、「アラハバキ神とはなんぞや?」ということを簡単に説明します。

アラハバキ(荒覇吐、荒吐、荒脛巾)信仰は、東北地方一帯に見られる民俗信仰と言われていますが、その起源は不明な点が多く謎に包まれています。日本東部の土着の民、蝦夷(えみし)が大和朝廷に東北に追いやられながらも継承してきた神であるとか、縄文神の一種とか古代より日本にいた土着神ではないかと諸説あるようです。遮光器土偶は日本最古の部族、アラハバキ族の神を模したものだとも言われています。

その中の一つに大和朝廷に従わなかったために封印された神という説もあります。一般の神社に祀られている神はその祭神名が何であれ、公認された神なのですが、古代に名前を抹殺されてしまった神もいたと言われているのです。

公認された神というのは、大和朝廷の祖先神とそれに関係する神、または、大和朝廷とは別の神話体系であったが大和朝廷に帰順し、組入れられた神のことをいいます(出雲系の神)。そして、封印・抹殺された神というのは大和朝廷と対決し、従わなかった神のことのようです。ところが、この抹殺した神の祟りを恐れ、改めて神として祀ることをしたそうなのですが、これがアラハバキ神とも言われているようです。

アラハバキを祀る神社は東北、関東、出雲、四国に多いのですが、大和朝廷の本拠地の奈良県や京都府には存在しておらず、また、関西、近畿、中部地方には少ないそうです。

こういったことを調べていくと、中部地方には少ないはずのアラハバキ神なのですが、東三河には「砥鹿神社奥宮」「砥鹿神社里宮」「竹生神社」「石座神社」「熊野神社」「神倉神社」「宮道天神社」の7ヶ所に何故か祀られていることが分かりました。これらはいずれも近い地域にありますが、このように近い地域にまとまってあることが珍しいことだとも聞きました。

・・・と言うことで今回、東三エネ研のドグオ&こぶめろは「竹生神社」「砥鹿神社の奥宮と里宮」に行ってきました。

まず新城市にある「竹生神社」に行きました。村の神社としてお祀りされているようです。鳥居をくぐって入っていくと右手に立派なご神木がありましたよ。古社だな~という雰囲気を感じさせる神社ですね。

アラハバキ神はメインの拝殿には祀られておらず、末社として、または小さな祠でひっそりと祀られていることが多いようです。早速アラハバキ神が祀られている場所を探すと、メインの拝殿の左側奥を入っていったところにありました。

DSCI0121-50.jpg



古~い小さな祠がいくつか並ぶ中に「荒羽々気神社」と書かれた祠がありました。

アラハバキ神は元々そこにいた神様なので、後からきたメインの神様がいる場所よりパワーが強いと聞いたことがあったので、手かざしなどという怪しい行動をしてみましたが、ここではよく分かりませんでしたね~^^; 

さて、次に本宮山スカイラインを通って、本宮山の山頂にある「砥鹿神社奥宮」へ向かいました。この日はあいにくの小雨で山頂付近はほとんど視界ゼロsc04 山頂にある駐車場を探し出すのに苦労しました~焦る3 こんな天気なのできっと誰もいないだろうと思いつつ、砥鹿神社の奥宮へ向かって行くと、モヤモヤの視界の中からガヤガヤと人の声が聞こえてきました。その声は10人くらいの登山のグループでした。

「こんな天気に登山する人がいるんだ~」と唖然としちゃいましたが、後から聞くと、本宮山はお手軽登山の人気スポットらしく、とても人気の多い賑やかな山だと言うことでした。

鳥居をくぐり、奥の拝殿を目指しながら、アラハバキ神の居場所を探したたのですが、案内板などは出ておらず、どこにアラハバキ神がいるのかが全く分かりませんでした。

とりあえずメインの拝殿でお参りをし、アチコチを探して山道を歩き回ってみたのですが、全然分からないのです。はぁ~、くたびれた~アップロードファイル

そこにTシャツと短パンという軽装のおじさんが通りかかったので、「おじさん、ここのこと詳しい?」と聞いてみました。

「アラハバキってどこにあるか知ってますか?」とおじさんに聞くと、「あ~、足の神さんね。それは拝殿の階段を下りていったところにあるよ」と教えてくれました。

「足の神さん・・・???何で???」と思いつつ、おじさんに教えてもらった道を降りていってみました。

すると、2,3分降りたところにありました~、「荒羽々気神社」と書かれた祠が。そこには何故か「東海一の健脚の神」と書かれた看板があり、わらじも数足奉納されていました。「ああ~、それでおじさんは足の神さんって言ったんだ~」と納得と同時に何で足の神さんになっちゃったんだろうと言う疑問も(・・?

この「荒羽々気神社」の祠がある場所一帯は、岩自体が「天の磐座(あめのいわくら)」と呼ばれる神様が宿る場所だと言うことでした。推察ですが、かつてはこの辺りの岩を信仰し、それがアラハバキ神と呼ばれている神様だったのではと思います。

DSCI0124-50.jpg


煙った風景の奥にアラハバキ神を祀る祠があり、幻想的な写真になりました。


DSCI0123-50.jpg


ここの岩からは気を感じることが出来ましたよ~(^^) 数週間前に行った石座神社でも手足がジンジンしたりしてそこにあるパワーを感じたのですが、ここでも同じように感じることが出来ました。

神社に行くと「メッセージが聞こえた」とか「頭を押さえつけられた」とか「身体を突き抜けるようなエネルギーを感じる」などと言われる方がいらっしゃるそうですが、私たちはニブ~イせいなのか全くこういった体感がありませ~んあ なので何かを感じると言っても、「何かがある」「何かがない」といったくらいの感覚ですね~おためしグリーン

アラハバキ神は本来は古代より神様として元々そこにいて土着の民に信仰されていたのですが、名前を変えられてしまい、門番だとか下足番だとかという扱いを受けてしまったらしいのです。それが転じてアラハバキ神は、足や脚絆の神様と言われるようにもなってしまったようなんです(-_-;)

権力に従わず、長いものに巻かれず、反骨精神があったがために冷や飯を食わされたアラハバキ神に何となく共感してしまう私たちでした・・・(〃´・ω・`)ゞエヘヘ♪

さて、奥宮を後にして、里宮へも行ってみましたが、ここでもアラハバキ神を探すのに苦労してしまいまいした( ̄▽ ̄;) 一の鳥居を入ると駐車場があるのですが、その駐車場の片隅のうっそうとした森の一角にありました。マジで門番のようです・・・ ̄□ ̄

さて、次は「宮道天神社」という神社に行ってみようと思っています。この神社は宮路山にある神社で、以前、ドグオ氏はこの山に登った時に山頂にある神社の祠を覗いたことがあり、その時に祠の中に何かがいるような気配がしてとても怖くてビビッたらしいです。

郷土の歴史の中には壬申の乱の時に草壁皇子が陣を張った場所だとか、草壁皇子がこの地で亡くなって祀られているという説があるのです。さてさて、ドグオ氏がビビッたという祠、今度はどんな風に感じるのでしょうか~。またご報告いたします。


テーマ : スピリチュアル    ジャンル : 心と身体


NEW ENTRY  | BLOG TOP |  OLD ENTRY

about us

ドグオ&cobumelo

ドグオ&cobumelo
本日は「B フレンズ」ブログに、ようこそいらっしゃいました(^^)

穂の国東三河~三遠南信地域を中心に、歴史や信仰、伝説の謎などの探求しています。そして時々エネルギー研鑽も♪

2017.9.19ブログタイトルを改めました。

タグリスト

最近のトラックバック

ブロとも申請フォーム



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。