B フレンズ

穂の国東三河を中心に、三遠南信の歴史と謎、エネルギーを探求しています。ブログタイトル改めました。

  1. 色々
  2. cm: 0
  3. [ edit ]

ブログタイトル変更しました。

突然ですが、この度、ブログタイトルを変更することにしました。

新タイトルはこちらです。

「B フレンズ」

よろしくお願いいたします。

さて、なんでタイトル変更となったか。

それは、あまりにもしょーもない事がきっかけなんですが・・・。

調べ物のついでに出てきた社名・店舗名の画数を調べるサイトで、何気にブログタイトル「東三河エネルギー研鑽会の日常」と入れてみたことなんです。

そしたら、まあ、結果が・・・、ううっとなるほど酷いもので
だけど、ある意味、あてはまる点もあるようで、だったら、こんな不吉なタイトルは即やめようってことで、あっさりと改名することにしたのです

どんな内容だったか、知りたいですか?

じゃあ・・・、ちょいとお教えしましょうか。

こんな内容でした。

愚鈍な性質を表す画数。
経営のスピードが遅い。
独自の技術や設備を持っても、それを有効活用することができない。
しかも、新しい事業を積極的に展開する勇気もない。
他社の後塵を拝して発展のチャンスを失い、優秀な人材も流出しがち。
その上、斜陽事業から撤退する機会を見逃して、損失をこうむることさえあるので注意が必要。
特に、IT関連や海外支社を持つ会社にこの画数があると、先行き不穏である・・・。


だって。

会社を対象にした診断になってますが、傾向的にあてはまるような気がしちゃいます

愚鈍で、独自のものを持っていても活用できない、勇気もないとか、ショックだわ~

おまけに、「斜陽事業から撤退する機会を見逃して・・・」って。
「斜陽って、南朝のことかいっ」と突っ込みたくなることが書いてあるし・・・

このブログを始めたのが、2006年。11年も愚鈍で勇気もなく、斜陽事業をひたすらやってきたのかと思うと、深いため息です。

はぁぁぁぁ~~~~~~

ってことで、新しいタイトルを考えたわけですが、この「B フレンズ」という名前は、かつて、友人と何か面白いことをやろうと話していた時に考えたチーム名なんですが、結局、使わないまま、お蔵入りとなっておりました。

で、この名前を先の社名の画数判断をしてみたところ、「おお~!いいじゃん」ということになり、これで行こうってことになったのです

「B フレンズ」の由来は、友達も私たちもB型だからというクソみたいに単純な理由からなんですが、Bには「be」という意味を持たせ、「友達になろうよ!」「仲良くなろうよ!」みたいな、そんな楽しい意味が込められています♪

ちなみに、画数判断によると「衰退した事業を挽回したり、倒産寸前の会社を再興したり、復興に尽力する」らしいので、斜陽事業の南朝が復活できる機会(日の目を見る)が起きるかな?なんて妄想を膨らませております

そんなこんなで、これからもよろしくお願いいたします



スポンサーサイト
テーマ : 歴史雑学    ジャンル : 学問・文化・芸術

  1. 隠れ南朝伝説
  2. cm: 0
  3. [ edit ]

後醍醐天皇の番組が・・・~歴史秘話ヒストリア・NHK~

毎週金曜日、午後8時からNHK総合で放送されている「歴史秘話ヒストリア」。

今日9月8日(金)の放送で、延期されていた後醍醐天皇を取り上げた「謎の秘宝で日本を変えよ!~不屈の天皇 ミステリアス紀行」が放送されるという情報を聞いて、「やったー!」と思っていたのですが・・・。

後醍醐天皇NHK
NHK様のブログよりお写真お借りしました。

朝、新聞のテレビ欄を見て「あぁー 内容が違うじゃん?なんでー???」ということになっておりました。

で、さっそくNHK名古屋へ電話して確かめてみたところ、この地域では、9月1日に中部ナビゲーションという番組が拡大放送されたために、他の地域では放送されたヒストリア「富士山の噴火」を1週遅れで今日放送するっちゅーことでした。

後醍醐天皇はまた延期

一昨日、久しぶりに南朝リレー11を書いたけど、三河に南風吹かずか・・・

再放送の9月17日まで、またオアズケだ


テーマ : 歴史雑学    ジャンル : 学問・文化・芸術

  1. 隠れ南朝伝説
  2. cm: 0
  3. [ edit ]

三河万歳の伝承からの南朝伝説 ~南朝リレー11~

東三河エネルギー研鑽会ブログにて、地元の封印された秘話・三河南朝伝説に関するお話を“南朝リレー”というシリーズで“10”まで書いてきましたが、若干ネタも切れたということもあり、すっかりご無沙汰となっておりまする

ところが最近、ドグオ氏が仕事のついでにたまたま通りかかって、気になる場所を見つけたといい、「ちょっとそこを確認に行きたい」というので、訪れてみたのです。

そしたら、そこには結構スゴイことが書いてあるなとビックリいたしました

小坂井 万才看板01
豊川市宿町中島にある看板です。

この看板には、小坂井三河万歳・小坂井神楽の発祥の地と書いてあります。三河万歳の発祥の地としては、西尾、岡崎市舞木町の伝承のことを以前読んだことがありましたが、まさかここも万歳発祥の地であるとは知りませんでした。

この看板によると、明治の頃に、ここ小坂井町宿(現豊川市宿町)から、代々万歳を襲名していた人が安城へ移住したとあります。それと、江戸時代の頃からの説明と、「小坂井の万歳・神楽発祥の地」と解釈できるような内容、および神楽は昔から盛んだったとあるだけで、江戸時代以前のことはここからは分かりません。

三河万歳というと、西尾市や安城市が三河万歳発祥の地と言われたり、盛んであったりしていますが、起源について調べてみたところ、はっきりと分からない点もあるようでした。

ふ~ん、豊橋市と一宮市の喫茶店モーニング起源説の話みたいな感じではっきりとしないのね?なんて変な方向にイメージしつつも、そういえば以前読んだ資料の中に、

「佐脇刀祢大夫(さわきとねたゆう)が三河万歳の祖で、御津の花ノ木にお墓がある」

と記されていたことを思い出しました

この「佐脇刀祢大夫が三河万歳の祖」という記述は、三河南朝のことを独自に調査された藤原石山氏、山口保吉氏それぞれの著書の中に出てくるものです。

そう、三河万歳のことを追っていくと、どうも三河南朝のことが絡んでくるらしく、そんな訳で東三エネ研久々の南朝リレーとなったわけでありました

まずは、三河万歳や佐脇刀祢大夫、三河南朝などについて書かれている資料をご紹介します。そんなに詳しく書かれているわけではなく、ちょっと意味不明な点もあるのですが、こんな内容です。

①【藤原石山著 三河に於ける長慶天皇伝説考】より
三河萬歳の起り
 西郷弾正は二木議長に従い来国して三河の守護代となったが正平十五年南朝に降り三河吉野朝を奉護した。山仲城に居た西郷弾正が正月に佐脇の御所に参内し拝賀の節、聖寿を寿ぎ奉って舞ったのが三河萬歳の初めで、山中城の下に舞木(儀)の地名のあるのはその起因と伝えている。
 天授二年辰年王田殿の建立が成り、その柱建に萬歳が奉納されその時の歌詞に

 弥勒の十年辰の年諸神の建てたる御家(ヤカタ)は風が吹いても祟る風(邪魔風)はないという

 この三河萬歳は御所萬歳又は千寿萬歳と云って小坂井町院内(大字宿字中島)に伝えられたが、その後安城市の別所に移つり御殿萬歳として伝えられた。(『塩尻』 『小坂井町誌』)
 院内は別に“はかせ村”とも云い萬歳と共に昔から神楽が伝えられ、この地方の神楽発祥の地とも伝え、南北朝の頃三河の御所で行った神事の伝統と伝えているものと思われる。

②【藤原石山著 南朝正統皇位継承論 長慶天皇の三河遷幸と諸豪の動き】より
三河万才の起因
 西尾市西町に伝統ある三河万才を伝えている。この万才の起源に就いて実相寺の記録を見ると、“文武天皇御河行幸の節百姓吉良大夫と云う者御前に於いて舞を奉し万才を唱えて聖寿を寿ぎ奉りしを初めとす”とあるが、大夫という名称は、五位以下の高官の総称で文武天皇の時代に見ず、又吉良と云う名称も、久麻久山より雲母を産し、元明天皇の時代に朝廷へも献じた。この雲母を国語で輝羅々と称するところから其の後幡豆地方を吉良と称し、源義氏が来往し、其の子長氏の居城が吉良庄に在るを以て吉良氏と称した。吉良の荘名の文献に現れるは関白藤原道家の建長二年に誌せる『家領処分記』を以って初めとし、文武天皇の時代に吉良と云う名称を見ず、大宝天皇を文武天皇とした後世の誤伝に基く伝説で、三河万才の起源は、南北朝時代二木右京大夫の守護代であった西郷弾正某山中に在し、三河の御所にて万才を舞ったのが起こりで、依って山とに(この部分の文が不明?)舞木の地名がある。この地名は、昔舞儀とも云い、吉良大夫万才を終へ帰りて後つけし名称の実相寺の古記録にも見える。大和時代千秋万才を舞たる人を法師と称し、大夫とは云はず、又三河万才の服装は鎌倉時代の武家の大紋を着し、宝飯郡下佐脇の御所宮の近く花ノ木に、万才の元祖佐脇刀彌大夫の墓がある。三河万才の起因は南北朝時代南朝の御所三河に存在し、その御所に於いて舞たるを起こりとするを至当と考える。

※上記の内容の説明:文武天皇の時代に「文武天皇行幸の折、百姓の吉良大夫という人物が御前で舞を奉した」と、西尾市の実相寺の記録にあるが、当時は吉良という名称はなく、吉良の地名が文献に現れるのは、もっと後の時代の関白藤原道家の建長二年に書かれた『家領処分記』が初めてだと、関連する伝承として記されています。


ほい、もう一丁。

③【山口保吉著 三河吉野朝の研究】より
-吉野朝を物語る地名の譯- 是願院と花ノ木(三河萬歳)
 三河萬歳と云へば誰もが智悉せらるゝお正月に附き物として有名である。寛成親王三河御津府の御所に於て御即位の御大典を擧行遊ばさる。寛成親王三河國の御降誕なり。當國の名山蓬莱山の吉祥を因みて亀鶴高砂の三鶴の舞を、是願院より侍臣昇殿して天下人の願として風俗の歌に和して奏上し奉る。之れ三河萬歳の起因なり。是願院の隣に花ノ木と稱する所あり。萬歳の元祖佐脇刀彌大夫の墓あり。佐脇、鶴、巻、莊田の三家は舞鶴の定紋を許されしと。天皇を御供養し奉まつる寺院中、瑞亀山、萬年山、亀鶴山、松亀山等の山號を有するも其因に基けるなりと傳ふ。三河萬歳の因は、南朝の帝王三河御津府御所に於て御即位ありしを尊稱する名稱として現今迄其名高し。右萬歳の元祖は御津の御所の傍佐脇にして、其後院内へ別れそれより別所西之町へ還る。西三河の萬歳の隆昌は徳川幕府江戸城へ招し殿中に於て奉楽せしより起こるなりと。然れども其因を尋ぬれば三河吉野朝の御遺蹟の一なりと。


読みにくいですが、何となく意味はつかめるかと思います。ざっくりと簡単にまとめると、

三河吉野朝と言われる南朝正統の皇統の人たちがいる御津町にあったとされる佐脇の御所(or豊川市森もしくは小田渕町の王田殿という南朝御所)で、お正月のお祝いもしくは、寛成親王(=長慶天皇)の即位のお祝いで、岡崎市舞木にある山中城の西郷弾正が、万歳を舞ったのが三河萬歳の起こり。それで、三河萬歳の元祖が佐脇刀禰大夫という人で、お墓が御津町花ノ木にある。そして、萬歳は小坂井町宿に伝えられて(ハカセ村)、そして安城に伝わった・・・。

こんな内容になるかと思います。

ちなみに、“ハカセ村”のはかせの由来ですが、“博士”というのは、日本の音楽、雅楽などの楽譜や仏教の声明のことなどを、“ハカセ”と呼んだそうです。そこから、神楽や万歳のような舞や歌をする人たちが住んだ場所の地名になったのかなと思われます。

さて、上記の内容で気になる所が、万歳を舞った人が西郷弾正で、万歳の元祖は佐脇刀祢大夫という人という点。

西郷弾正ってどういう人なんのでしょう?
佐脇刀祢大夫はどういう人だったのでしょう?

まず、西郷弾正について。

西郷弾正は、豊川市篠束町にあった篠束城に居城した人物です。

sinodukajou001.jpg
篠束城は豊川市篠束町大堀にあり、畑の際に写真のような篠束城跡を説明する看板が立っています(現在は看板の地図がボロボロになってます)。

西郷氏というのは、肥前国高木郡西郷を出自とし、北朝に味方をしていた仁木義長に従う武将でした。仁木氏が三河の守護職になった時に、守護代として三河にやってきたのが三河の西郷氏の始まりとされています。仁木氏が南朝支持に代わると、それに従い西郷氏も南朝方に付きました。豊橋市の石巻へ移住した西郷氏の7代目の孫が篠束城主であったらしい。後醍醐天皇の皇女で、静岡県浜松市引佐の井伊谷宮の宗良親王の異母妹の懽子内親王(かんしないしんのう)を蒲郡から豊川市小坂井へお連れしたという西郷弾正が何代目の誰なのかはイマイチ不明です

関連記事:南朝リレーその2~皇女の足跡~

西郷弾正と南朝の関わりについて簡単に説明するとこんな感じなのですが、次に藤原石山氏の資料をみてみると、「岡崎市舞木の山中城の西郷弾正という人が、正月に御所に参内した時に、聖寿を願い舞ったのが三河万歳の始まりで、岡崎市の舞木という地名もこれに由来する」となっています。

そして、この万歳がかつて院内と呼ばれていた小坂井町宿の中島(最初に紹介した看板のあるところ)に伝わり、その後、安城市の別所に移り、そこで御殿萬歳として伝えられたと、そんな内容も記されています。

また最初の看板に戻りますが、「小坂井三河万歳・小坂井神楽」の看板は、篠束城から西の方向3~400メートルほどあり、その看板のすぐ近くには、穂の国(三河の旧国名)の前期の国造、朝廷別王(みかどわけのみこと)を祀る多美河津神社があります。

三河万歳の始まりとされる西郷弾正が居城したという篠束城。そのほど近いところに、万歳・神楽発祥の地があるというのは偶然でしょうか?

看板には書かれていませんが、この地(豊川市宿町)に三河万歳を伝えた人物は、西郷弾正だったのではないかと思わずにはいられないのです。

ここでもう一人の人物「佐脇刀祢大夫が万歳の元祖で、御津町花ノ木にお墓がある」という伝承から、佐脇刀祢大夫について考えてみたいと思います。

御津 佐脇大夫01

佐脇刀祢大夫 墓02
豊川市御津町花ノ木にある説明看板。

さてさて、看板の説明では、長篠・設楽原の戦いで奥平氏に参戦し、討死した佐脇城主が佐脇刀祢大夫だとなっています。

万歳の元祖とは出てきません。

う~ん、一体佐脇刀祢大夫って何者なんだろうと調べてみると、こんなところも出てきました。

170904田原 佐脇刀祢大夫屋敷跡02
田原市東赤石の住宅街の一角(道の駅めっくんはうすの近く)にある石碑。ここに青津村城、佐脇刀祢大夫邸跡と書いてあります。

田原 佐脇刀祢大夫屋敷跡01
曹洞宗栄杉寺の跡とも書いてありますので、青津村城の跡地がお寺になり、今はそのお寺もなくなってしまったということなのでしょうか。

おっとと、このような場所が出てきてしまって、豊川市御津町からは、かなり離れた田原市にも佐脇刀祢大夫がいたということになります。御津と田原の佐脇刀祢大夫は同一人物なのでしょうか?

しかしながら、ここでヘコたれるエネ研ではありません

御津町の佐脇刀祢大夫の場所と田原市の佐脇刀祢大夫の場所は、なんと三河南朝でつなげることが出来るのです。

田原市の佐脇刀祢大夫の屋敷跡といわれる石碑のある場所のすぐ近くには、見てはいけないお祭りといわれる不思議な祭り、「久丸神社の寝祭り」が行われる「久丸神社」があるのです。

関連記事:南朝リレーその9 ~久丸神社の寝祭り~

関連記事を読んでいただくと分かると思いますが、寝祭りというのは、久丸神社とすぐ近くにある神明社を行列が往復するお祭りで、久丸神社も三河南朝とかなりコアな関係がある場所と言われています。また、神明社は元伊勢ともいわれています。

そして、話がアチコチしますが、もう一つ、御津町花ノ木の佐脇刀祢大夫について。

御津町は、三河南朝の御所があった所といわれていて、実際にそれに由来するのではないかと思える地名が多々残されています。

実際、花ノ木の付近には、剣橋(つるぎばし=剣)、玉袋(玉)、加美(鏡のこと?)という三種の神器を示すような地名が隣接し、また、膳田、羽鳥(服織=はとり)、御所などの地名も集まっているのです。

御津地図 花ノ木
御津町花ノ木周辺の地図。山口保吉氏の資料に出てくる“是願院”というお寺と思われる場所は、見当たりませんでしたが、是願という地名は残っています(花ノ木の右斜め上)。

御津町地図 加美
加美(おそらく鏡のことでは?)、つるぎばし(剣)、玉袋(玉)三種の神器が揃っています。

御津地図 御所
加美、つるぎばし、玉袋より南に隣接する地名、膳田、御所。御所の右方向が花ノ木。

御津町地図 佐脇神社
玉袋に隣接する佐脇神社が「佐脇の御所」だったのではないかと言われています。「王田殿」という御所(佐脇の御所より北東方面へ2キロほど)が完成するとそちらに移動したということでしょうか。

藤原石山氏の資料によると、こういった地名があるということは、この地に天皇の御行在(仮宮を置いた)されたことと、南北朝時代に南朝に味方した人たちが長慶天皇を迎えたことを伝えているといいます。また、奈良時代初期、三河行幸をされた持統天皇の旧蹟と南北朝時代の天皇の遺蹟が重複しているとも記しています。

三河万歳と南朝、西郷弾正、佐脇刀祢大夫の話をややこしいながらも説明してみましたが、話の内容には意味不明な感じもあり、辻褄が合わない点もあります。また、佐脇刀祢大夫が三河万歳の元祖という点について、もう少し詳しい説明がないかを探してみたのですが、残念ながら見つかりませんでした。

それでもメゲずに、佐脇刀祢大夫という名前を手掛かりに調べてみたら、こんな内容が出てきました。

●“刀祢”、“大夫”という名称は役職名と考えられる。
●“刀祢”は、村長、里長、祭司を統括する人(祢(禰)に神職の意あり)、川船の船頭の意味がある。
●“大夫”には、“だいふ”“だいぶ”“たゆう”という呼び名があり、家老や伊勢神宮の神職を大夫と呼び、神職からの関連で、太神楽の長を大夫と呼ぶようになり、そこから転じて歌舞伎、万歳、浄瑠璃などの芸事をする人たちを呼ぶようになった。
●佐脇氏は、鎌倉幕府より引き継ぐ形で、室町幕府により北伊勢の朝明郡に配置された“十ヶ所人数”という奉公衆の一員らしい。

さて、以上の内容を踏まえてまとめてみます。完全に私たちの憶測になりますが、

御津町下佐脇花ノ木あたりに、佐脇刀祢大夫という人がいた。名前から見ると、この地域の何らかの長で、祭司を統括する役目も持っており、伊勢の太神楽についても知る人であり、それは北伊勢に関係ある由縁であるようにみえる。南北朝になり、南朝の正式な皇統を守るべく、この御津の地に御所が作られ、この御所で、祝いの席(正月か長慶天皇の即位か)で祝いの舞である三河万歳を披露したのが、篠束城に居城する西郷弾正だった。そして、西郷弾正に万歳を教えたのが、佐脇刀祢大夫という人物だったのではないか。

その後、西郷弾正が元となり、万歳を三河の各地へ伝わったのでは。

田原の青津村城が、佐脇刀祢大夫の邸となっていますが、伊勢には海路で渡ると早いし、久丸神社と南朝の関りからも、佐脇刀祢大夫も南朝に何らかの形で関わっていたのかもしれません。例えば、海路で南朝の方々を渡す役目とか。

こんな風に想像します。

ふ~、久しぶりに頭を使って疲れたよ~。いくら暇人のコブメロとはいえヘロヘロになってます

さて、最後にもう一つ。

佐脇の御所ではないかと言われる佐脇神社のすぐ近くに、長松禅寺というお寺があります。“どんき”と呼ばれる奇祭で知られるお寺です。

長松寺
ここには、三河吉野朝(南朝)を守護した熊野山伏の供養塔とされる像があります。藤原石山氏の記す口碑伝承によると、三河の御所を守護した熊野山伏が襲撃され、佐脇原で三河の騒乱と呼ばれる激しい戦いがあった。その時に多数の熊野山伏が惨殺され、この山伏たちを供養するために建立されたのが長松禅寺の供養塔だとのことです。

長松寺 山伏01
山伏の供養塔といわれる像は、黙して何も語ってくれませんが・・・。

いつもながら、一見、与太話のように見える藤原石山氏や山口保吉氏の三河南朝の考察ですが、以前私たちが南朝リレーで紹介した三河南朝の記事の内容も含め、改めて考えてみると、「やっぱ、ここに何かあったんだよね?」と感じざるを得ませんっ!と、あばれる君風に今回は締めたいと思います

今回も長々とお読みいただきありがとうございました



テーマ : 歴史雑学    ジャンル : 学問・文化・芸術

  1. 色々
  2. cm: 0
  3. [ edit ]

記事の整理☆タグリスト作成

太陽が少し傾いてきて、部屋の中に日差しが届くようになってきました。

秋の気配ですね

さて、少し時間に余裕のできたコブメロは、記事の検索が分かりやすくなるように、タグリストを作ってみました!

タグリストは記事枠の右側の枠内の、月間アーカイブ項目の上(orカテゴリーの項目の下)に設置してあります。タグリストの右側の矢印をクリックしていただくと、タグの一覧が表示されます。

↓こんな感じです。(見本の写真です。この画面をクリックしてもタグリストは出ませんのでご注意ください。)

タグ 画面01


タグ 画面02


カテゴリの分類とは違う名前で、記事の内容に沿ったタグ名にしてみましたので、以前よりは記事が探しやすいかな~、なんて思います。

まだ全部の記事にタグが付けきれてないので、せっせとやりたいと思っとります




  1. 百間滝
  2. cm: 2
  3. [ edit ]

百間滝の記事

この地方で配布されているフリーペーパー(マガジン)の最新号を読んでみたら、
夏のView特集のページに百間滝が紹介されていました。


はまなる表紙


はままる百間滝


台風で道がふさがれたとか聞いたり、自分たち自身も時間がなかったりで、最近はすっかりご無沙汰となってしまいましたが、こうやって今もフリーペーパーや地域の雑誌なんかで取り上げられているのを目にすることがあります。

かつて友人T氏から教えてもらい、私たちがブログで取り上げた時には、ネットを調べても数件の情報しかでなかったという状態だったんですけどね

フリーペーパーに紹介されていたのを機会に、また私たちの記事も読んでみてくださいな。

百間滝

パワースポットニッポン


テーマ : 自然科学    ジャンル : 学問・文化・芸術

  1. パワースポット
  2. cm: 0
  3. [ edit ]

お稲荷さん 月またぎのお参り

毎日暑いですね~。
ついつい、あちーって出ちゃいますね

さて、お稲荷さんの月またぎのお参りって聞いたことあるかと思いますが、この月またぎのお参りで有名なのが、岐阜県海津市にある「お千代歩稲荷」です。

ここは毎月月末の夜ともなると、初詣かってなくらいに、参拝者で賑わっています。

去年の8月末に初めて行ってみたんですが、夜中に小さなエリアで軒を連ねるお店の賑わいや、店先で揚げたての串カツを食べながら、ワイワイ飲んでる人たちの楽しそうな雰囲気に、見てるだけでも楽しかったです串カツ美味しいよ~

ochobo01.jpg
去年の様子です。

さて、先日7月の月末に、久しぶりに行ってみようか?って話をドグオ氏としたんですが、この暑さや色々でちょっと岐阜県まで行く気力が湧かなくて、お千代保さんは今回はパスすることにしました。

でもなー、せっかく月末だし、近場で月またぎのお参りしてみようか!ってことで、深夜10半ごろに近場のお稲荷さんへ行ってみました(^-^;

かつてコブメロが中学生の時、冬の日暮れた夕方に、こっくりさんの残骸の紙やお金を何とかしなきゃって(こっくりさんが帰ってくれなかったのだ)、同級生たちと訪れた時は真っ暗でメッチャ怖かった思い出のあるお稲荷さんだけど、今は防犯もあってか明るくなっておりました。

そして、次の日も朝から張り切ってお参りに行ってきました。これぞ月またぎだよ~

さて、月またぎのお参りといえば、コブメロが整体を始めたばかりの20年近くも前の話ですが、出張整体の仕事をボチボチと始めたばかりの頃のある夜、またまた金縛りにあい、不思議な夢を見たのです。

小さなおばあさんが出てきて、
「西側に井戸があるだろう。そこと稲荷さんに月またぎでお参りをするといい」
というのです。

「はぁ~、井戸?月またぎ?何それ?ううっ、体が動かん・・・」と思いつつ、次の朝、目を覚ましたんですが、金縛りにあったことに何となく気分が悪くて、落ち込んでいたんですが、この話を聞いたコブメロ母は、
「そんなのは、夢でやるといいって言われた通りにしてみればいいじゃん!」
と言い放つし、
お寺の叔母は(整体開始当初はお寺でやっていた)、
「一応、商売をやってるってことで、稲荷さんにお参りした方がいいってことじゃないの?」
といい(寺にも小さな稲荷社がある)、
お寺の叔父は、
「いつも稲荷さんにお参りしてくれた人がいなくなったから、油揚げをあげて欲しいのかもなぁ」
なんて、ふざけたことを抜かすので、
「ほんじゃー毎月月末と月初めに油揚げをあげりゃいいんだね」
と、お寺の西側にある井戸(夢のおばあさんの言う井戸がマジあるだよ)と稲荷社に油揚げをあげて、お参りをするようにしたのです。

そしたら・・・。不思議なことにどんどんお客さんが増えていったのです。でもって、あるお客さんをきっかけに、どんどん口コミで増えていったんですよ

お稲荷さんのお陰なんだな~と思いつつも、ちょっとキツネにつままれたような出来事でした

その当時、月またぎのお参りって何?どういうしきたりなの?って、全く分からなかったんですが、お千代保稲荷の話を聞いて、「あるんだー、そういうの」とやっと分かったということでした。スッキリ~

さてさて、この話を信じるか信じないかはあなた次第!おまけに月またぎのお参りは、どこのお稲荷さんでもいいのかどうかも分からないので、あしからずですまた、神社仏閣へのお参りは迷惑にならないようにお互い気をつけましょう♡


テーマ : 神社    ジャンル : 学問・文化・芸術

  1. スピリチュアル
  2. cm: 0
  3. [ edit ]

ピアスの不思議

もう随分何年も前の話になるけど、こぶめろがピアスの穴をあけた時のこと。

たまたま何かの集まりで、前の会社の先輩にあって、
「ピアス開けたんだ~」と話したら、
「使ってないピアスがあるから、今度持ってきてあげる」と言ってくれた。

そしたら、次に会った時、本当にピアスを持ってきてくれた。

小さなアメジストのはめられた18金のピアス。

「えー、こんないいもの貰えないよー」というこぶめろに、
「いいよー。全然ほんとに使ってないから。気にしないで使って」
と先輩は手渡してくれた。

おしゃれでさりげないピアス。だけど、何となくその時のこぶめろには
合わないような気がして、何年も何年もしまったままだった。

それが、ここ数日前から、何となく着けるとしっくりくるような気がして、
頻繁に着けていた。

そんなある朝。

別の先輩から電話があり、ピアスの先輩が亡くなったことを知らされた。

ピアスを頻繁に着けたくなっていたのはそういうことだったのか。

先輩のピアス、これからも大事にするね。

お疲れ様、ゆっくり休んでください。合掌。



  1. 色々
  2. cm: 0
  3. [ edit ]

ちゅるちゅるの動画 メチャかわいい♪

数か月前からハマってる動画。



BS見てた時に流れて「何?このオモロイCM!」と思っていたら、地上波のCMでも短いバージョンが流れて、さっそく動画を検索!

猫あるあるばかりのしぐさや行動、しつこさに、思わず微笑んでしまいます

猫好きにはたまらんです。時々眺めてはニヤけるこぶめろでした(^-^;



  1. 菟足神社
  2. cm: 0
  3. [ edit ]

またまた風まつりの季節が巡ってきました。

お彼岸も過ぎ、桜の開花が待たれる時期となりました。

早く暖かくなってくれないかなーって、
寒さに嫌気がさしている今日この頃。

ホントに毎日毎日風が強くて、イヤになってきます。

この風に強さに、やっぱ「風まつり」って言われるだけあるわ~って
納得してみたりします。

さて、今年も菟足神社の「風まつり」がやってきます。

今年は4月8日㈯、9日㈰です。

今回は、こぶめろ弟が、子供たちの引くお車の付き添いの役をやるとかで、
裃を新調する羽目になってました(^-^;

お祭りを維持していくのも大変そうです。



追伸:

お祭り当日、菟足神社の近くにある従姉妹の家へ行き、何年かぶりでお祭り見物をしました。

叔母や従姉妹たちとお車が来るのを待っていると、そこへ裃を着たこぶめろ弟が登場。まるで福助かバカボンかってな着こなしで、大笑いしてしまいました。

「まあ、まあ、なんちゅー着方をしとるだん?」と、呆れながら叔母がほどいて直してました。

男の人は、腹の下で紐や帯を結ぶのに、胸の下で裃の紐を結んでたら、そりゃ福助かバカボンにしか見えんわねぇ(^-^;

カッコわるっ





  1. 神社仏閣
  2. cm: 0
  3. [ edit ]

節分☆うすさま明王詣で

節分を迎え、暦の上では春となりました

昨日2/4は節分の角違いとか言って、まだ節分扱いの日になるらしいのです(オカン情報によると)。

昨年末にお引っ越しをしたこともあり&節分ってこともありで、トイレの神様「うすさま明王」のお札も改めようと思い、静岡県袋井市の可垂斎へと出かけて参りました。

ポカポカの陽気の中、車を走らせ、とりあえずお昼ごはんを浜名湖サービスエリアで。

170204浜名湖SA002

レストランからの浜名湖。湖面がキラキラしてて、とっても素敵な眺めでした

ドグオ氏は桜エビのかき揚げのお蕎麦を食べたんだけど、こぶめろはこんなものを注文してみました。

170204浜名湖SA003

NHK大河ドラマで放送中の井伊直虎にちなんだ「鉄板直虎丼」(こんなメニュー名だったような?)。
ニンジンで井伊家の家紋が書いてあって、鉄板のご飯に浜松の豚肉と野菜がのせてあって、アツアツの鉄板にジュワッ~っと特製タレをかけて、卵をのせて食べる。
おいしかったよ~

そーいえば、浜名湖サービスエリアといえば・・・、年末にちょいとスゴイ体験がありました(^_^;)この話はまた機会があったらご紹介します。

さて、可垂斎に到着。土曜日ということもあって、多くの人で賑わっていました。

kamon001.jpg
葵の御紋が眩しいね~

tengu001.jpg

tengu002.jpg

天狗で有名な可垂斎には、こんな天狗のお面がたくさん飾ってありますよ。

さて、ここは前にもブログで書きましたが、徳川家康が隠れた穴がある所なのです。
※家康に関する過去記事はこちら。

ieyasu002.jpg

ieyasu001.jpg
こんな立派な石碑が立ったんですね☆

さあ、今日のメインはうすさま明王です。※うすさま明王については過去記事をご覧ください。

うすさま明王のいらっしゃるトイレへ入館します(入館料は500円)。

toile003.jpg
凛々しいお姿です。

toile004.jpg
全体の雰囲気はこんな感じです。ここのトイレも実際に使用可です。

toile002.jpg
うすさま明王にムギュっとやられちゃってるガネーシャ。

toile001.jpg
日本一のトイレです。

toile005.jpg
昔の学校の手洗い場みたいでいい雰囲気ですね。

toile006.jpg
配電盤のスイッチのつまみも天狗みたいでおもしろい

可垂斎でうすさま明王のお札をいただき、本日の目的は無事終了o(〃^▽^〃)o♪

可垂斎を後にした我々は、ここまで来たついでとばかりに、可垂斎から10キロほどにある遠州の一宮・小国神社へも足を延ばしてみました

okuni001.jpg
季節は春へと移り変わろうとしてますね。梅が咲いてました~

okuni002.jpg
しめ縄や鏡餅って蛇から来てると聞くけど、小銭が蛇の鱗みたいで、しめ縄が大木に巻きつく蛇みたいにも見えてきますね

okuni003.jpg
ことまち池の静かなたたずまい。いいひと時を過ごさせていただきました。

さてさて、こちらがうすさま明王のお札です。

170205うすさま
家に帰ると、さっそくトイレにお招きしました。

これからどうぞよろしくお願いします



NEW ENTRY  | BLOG TOP |  OLD ENTRY>>

about us

ドグオ&cobumelo

ドグオ&cobumelo
本日は「B フレンズ」ブログに、ようこそいらっしゃいました(^^)

穂の国東三河~三遠南信地域を中心に、歴史や信仰、伝説の謎などの探求しています。そして時々エネルギー研鑽も♪

2017.9.19ブログタイトルを改めました。

タグリスト

最近のトラックバック

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

Powered By FC2ブログ

« 2017 09  »
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30